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[コメント] チェンジリング(2008/米)

衝撃のラスト。壮大な親離れ
mikaz

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画の2時間ちょいまでは、すべて母の愛の強さを語っているものだった。 母の愛の気高さは、どんな権力も困難も越えていく。子供のためだけに涙を流し、責任でも意地でもない。純粋で強靭な愛を示し続ける。この映画は決して権力や運命に翻弄される母親を描くために作られたものではない。(映画内の台詞を引用するならば、「残念ながら世間の半分はそれに騙されている。」)

その話の描き方はもちろん最高で、本当に感動的なものであったが、映画の話としては『グエムル 漢江の怪物』や『ファインディング・ニモ』のようによくある話。(両方とも大好きですが。)特にグエムルは、家族が権力と怪物に立ち向かうという構図は完全に一致している。頭いじられる描写も一緒。

しかし、この映画この映画が孤高の域に達したのはラスト10分だ。

事件から5年後保護された子供が、なぜ5年たった今になって出てきたのかという問いに対してこう答える。

"I only missed my mom... i only missed my dad.. i just wanna go home."

この台詞がこの物語のすべてをひっくり返した。母親にとって本当に残酷な台詞だ。

この台詞がすさまじいのは、もし息子が生きていたなら、息子は保護された子供とは違って、(障害や恐怖を乗り越えてまで)母親との再会を望んでいないことを逆説的に示してしまうということだ。

確かにそれまでの物語の中で、息子が父親を必要としている描写はあったが、自らが母親を求める描写はなかったように思う。 もちろん、息子が殺人鬼に見つかって殺されていたり、なんらか別の理由で死んでいたならばならばそれも救いのない話。どちらにしても、母の愛は一方通行だ。

母親はこのシーンで涙を流す。彼女がこれまで自らの子供のためだけに涙を流していたことから考えても、彼女は保護された親子の対面に感動で涙したのではない。

彼女はそれまで子供しか見えていなかった。が、この場面に立ち会って、物語の中で、画面の構図通り、初めて自分自身と向き合う。そこで、この台詞の意味に気付き必ずしも息子の気持ちが自分と同じかどうかわからないことを悟り、涙を流したのだ。 (話し始めから涙ぐんでいたのを見ると、すでにうっすら感じていたことなのかもしれない。)

僕が彼女の立場だったら、あの台詞を聞いて意味を考えたならば、子供を捜すことに対して疑心暗鬼になってしまう。捜索をやめるのに、何か自分を納得させる理由を探してしまうかもしれない。

しかし彼女は違う。そんなことよりも生きているかもしれないという「希望」が上回るのだ。彼女は自らの愛がほぼ一方通行であると理解しても、生涯子供を捜し続ける。(=生涯子供は見つからなかった。すなわち、死んでいたのか出てこなかったのかはわからないが、彼女の愛は一生子供から報われることはなかったということだろう。)

僕は前提として、母と子は相思相愛であるものと思って見ていたから余計に衝撃を受けた。(前述の映画にもこの前提を守る描写はあった。)母の愛が少しでも報われるシーンを期待していた。

しかし母親は違う。報われようと報われまいとどうだっていいのだ。

強い。。強すぎる。。。

確かに実話らしいけど、、、確かに現実でそんなことは多々ある気がするけど、、、

鬼畜すぎるよイーストウッド

追記

・http://ring2000-web.hp.infoseek.co.jp/movietrivia/Changeling.html    実話とは違うところもあるようで、結構脚色されているようです。それでもこの映画の価値が下がるところはひとつもありません。

(評価:★5)

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