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[コメント] ルーキー(1990/米)

得意の“通過儀礼”“過去への執着”主題によるドラマづくりもチャーリー・シーンでは説得力を欠きSO-SO
junojuna

イーストウッド映画の特徴となる主題「通過儀礼」「過去への執着」など、自作自演の持ち分を若手に投影する試みで挑戦した本作であったが、残念ながらチャーリー・シーンという一本気で一面的な役者ではその説得力を欠いて、平凡の底をつく仕上がりとなってしまっている。イーストウッドドラマは、その劇作構造自体に奇策とよべる変拍子が見当たらない分、そのドラマの質感、ムードを体現する舞台、人物、プロットのデザインが重要なのである。無論、そのデザインには外面的な情報だけではなく、内面的な奥行きを感じさせて説得力を持つものであるが、今作の配置にはいづれも果敢な作為というものを読み取れず、鳴かず飛ばずの凡庸なる一品となってしまった。しかし、彼のフィルモグラフィを見てみると、自作自演の作品群からソンドラ・ロックという女優に女版イーストウッドを施す試みの苦肉を経て、彼の主題となる自己完結性の男の美学は、正統な男性俳優の系譜に委ねようとする境地に達したものであるかに見える。これは、五十歳を越えたイーストウッドに訪れたひとつの岐路というものであったろうし、その点の流れで言えば、この後の『パーフェクト・ワールド』で男の渋みを持ちえた時の人、ケヴィン・コスナーにその主題を刻印することでひとつの到達を見せたことは、本作を作家論視点でのマイルストーンと捉えることができて意味深い。

(評価:★3)

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