[コメント] 交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい(2009/日)
京田知己マジックとでも言うのか、同じキャラクターを使ってまったく別の、新たなるストーリーを構築してしまう荒技の遂行は『ラーゼフォン』以来のお家芸。しかし、問題は物語世界を事細かに物語る、その説明の長さにある。お陰で全ての設定は覚えている間に物語に乗り遅れてしまう。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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レントンとエウレカの絆を深くし、幼なじみとしての屈折のない描写が観られたのは、多少のクサさに目をつぶれば歓迎すべき改変点である。またドミニクとアネモネもかなりの儲け役だった。
翻ってみれば、月光号のクルーの設定には少々やりすぎの観が拭えなかった。さすがに朝7時のTVでは出来ない冒険とは言え、ペドフィリアの高級将校の性的玩具として、遺伝子まで狂わされた少年少女の成れの果て、という設定は些か引く。そこまで汚い大人たちを設定すべき物語でもなかろう。
中年から老年の婦人たちを多くスポットライトの元にさらけ出しているのは、この作品のユニークな着眼点であるとともに、時代の変化を感じさせる。萌えアニメの無個性な美少女だらけの画面に催す嘔吐感を思えば、こうした試みはもっと為されていいだろう。綺麗な花は一輪、凛と立つからこそ美しい。利休の美意識は現在でも振り返られてしかるべきだ。
と、箇条書き風に書いたのは今ひとつ乗れなかったせいもある。サブタイトルの甘ったるさに年甲斐もなく、もっと胸キュンな展開を望んでしまったからなのだろう。結論を言えば、咀嚼不足である。
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