[コメント] 我等の生涯の最良の年(1946/米)
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1947年全米興行成績1位。さらにアカデミー8部門ノミネートで7部門でオスカー。興業成績と賞が見事に合致した例の一つで、三つの階層でのそれぞれの生活が描かれ、帰還兵を扱った作品としては、最高傑作とも言われる。ここまで重い内容の作品が受け入れられたと言うことが重要だろう。
第二時世界大戦はアメリカにとっては後の世界に対しての経済的地位的躍進を果たした。輝かしい戦果は、アメリカがいたからドイツ、日本に勝てたのだ。と言うイメージを世界に示すことを可能とした。アメリカにとって経済的効果は膨大なもので、この戦争によって築いた足がかりから世界中へアメリカ企業は躍進を果たす。実際、アメリカという国だけを見るならば、第二次世界大戦は、アメリカのための戦争だったようなものだ。
ただ、これは表の歴史。その歴史の裏には、数多くの犠牲者がある。そのことを突き付けたのがやはり映画であった。戦勝国がただ浮かれていただけでないことを如実に示したのがこの作品だったということになる。そこには大きな痛みが伴ったのであり、しかもそれは継続中である。と言うことを本作は表している。
確かに現在の目から観ると描写はまだまだ中途半端だし、物語も投げっぱなしの印象。具体的に言えば、この作品は退屈なのだ。事実当時の批評家からもあまり評価は高くなかったらしい(描写の甘さは、ほぼ同時期に公開された日本映画の『戦争と平和』(1947)、あるいは『風の中の牝鶏』(1948)の描写と較べてみればいい)。
しかし、改めて考えると、この突き放しこそがこの作品の真の価値なのではないだろうか。淡々と描くことで、当時の人たちに、改めて自分自身にとっての戦争の総括を求めようとしたのではないだろうか。とも思える。この作品が当時多いに受けたのは、本作の出来如何ではなく、観る人が、ほんの数年前の自分自身の姿をそこに見ていたからとも考えられる。
そうすると、本作の価値とは、その時代にいることで初めて感じることなのかも。これも又、時代の生んだ映画と言うことが出来るだろう。物語よりは設定で観るべき作品と言えるかも知れない。
この中での肝はやはり助演男優賞オスカーを得たハロルド=ラッセルだろう。彼は役者ではなく、実際に軍隊で両手を失った傷病兵。最初観た時はてっきり演技で付けているのかと思ったのだが、それにしては義手の使い方がはまってるなあ。とか思って観ている内、本当に義手を外すシーンがあってびっくりした。素人がオスカーを受けた最初の例となる。
本作はプロデューサーのゴールドウィンの肝入りによって作られたのだが、映画の主題がシリアスすぎると言われた時、「この映画が金を稼ぐかどうかなんて気にしない。ただアメリカの全ての老若男女にこの映画を観て欲しいんだ」と語ったとのこと。その思いが結実したと言うことになるか。
この脚本を担当したピューリッツァ賞を得た作家ロバート=シャーウッドだが、当時は文筆活動を辞めており、大統領側近となっていた。ゴールドウィンのたっての願いにより脚本を了解する。
尚、ラッセルは45年後、妻の目の手術代に充てるためオスカー像を競売にかけてアカデミーを慌てさせた。
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