[コメント] レスラー(2008/米=仏)
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個人的な話だが、女に比べた男の精神的な弱さについて考えさせられることが最近多い。映画を観ていてもそのような視点で鑑賞してしまう。そんなタイミングで鑑賞した本作には、内面的な弱さのために取り返しのつかない地点まで追い込まれた男の、最後の姿が映されていた。
ミッキー・ローク演じるランディ(いや、もうミッキー・ローク自身としても問題ないだろう)は栄光の時代を過ぎて以後20年間、目の前の収入と観客の声援に応えるプロ意識だけを糧に低空飛行の生活を続けてきた。しかし鍛え上げた肉体もレスリングの過酷さの前に限界を迎え、引退を余儀なくされる。かろうじて低空飛行を支えた燃料を失ったミッキー・ロークは、死ぬまでの心のよりどころ、長すぎた低空飛行の着地点として2人の女性を希求する。戦い抜いてきた男は、初めて他者に身を委ねる選択をするのである。
しかし結果として、2人の女性がミッキー・ロークを受け入れることはなかった。改善したかに見えた娘との関係は、自身の弱さのために破綻へと至らしめてしまう。一方最も身近であった女性との間にも、ダンサーと客の関係を越えられない事情があることに気付かされてしまう(女がレスラーと接してきた理由の根本には、息子の存在があったのである)。かつてレスラーと同様の孤独に直面したであろう女たちは、自身で決断した生活を既に歩み、そこにレスラーの入り込む余地は残されていなかった。
酷な見方かもしれないが、これはミッキー・ローク自身が招いた当然の帰結なのだろう。娘の「私が頼りたい時にはそばにいなかったのに、今さら頼ってくるなんて」という言葉が全てを表している。当たり前だが、頼る前には頼られることが必要なのだ。リングの上に全てを注ぎ過ぎたレスラーは、身近な人に頼られる幾つもの機会を失ってしまった。レスラーは女たちの言葉から、この現実に気づかされてしまう。取り返しのつかない局面というものは存在する。現実を受け入れられないミッキー・ロークが劇場で女に喚き散らすシーンは、ただひたすらに哀しい。
プロ意識、男の生き様という側面から見れば、本作のミッキー・ロークは最高にカッコいいレスラーの中のレスラーだろう。しかし男の弱さに気が向いてしまいがちな最近の私にとっては、ミッキー・ロークの哀しい姿だけが印象に残る作品であった。
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