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[コメント] 光に叛く者(1931/米)

囚人たちの人海戦術による演出の迫力。監獄の狭さ息苦しさを感じさせる空間演出。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







機械的に閉められていく鉄格子。看守が番号を数えながら檻の前を通る声。工場の機械の単調な動き。囚人たちの整然とした列の動き。こうした息苦しい反復と、画面の暗さによって、ロバートが精神のバランスを崩す状況がよく分かる。彼がメアリーと共に居る場面での空間の解放感との対照性も見事なのものだ。反復という点では、囚人たちが上げる「ィヤアー!」という声の繰り返しは圧巻。監獄の秩序に抗い衝突する、もう一つの秩序としての囚人たちの団結力。

原題の「Criminal Code」は「刑法」という意味だが、「犯罪者の掟」という意味との両義語句でもあるだろう。青年ロバートが終盤、板挟みになる二つの掟だ。このロバートと、彼と恋愛状態になる娘メアリーとが共に「純朴」を絵に描いたような単純な人物造形しか為されていないせいで、終盤の、ロバートを救う為に所長と受刑者ギャロウェイとが各自で行動を起こす展開が、図式的で退屈なものに感じられてしまうのが玉に瑕。

だがロバートの、劇中での変貌ぶりは鮮やかだ。都会に出てきたばかりの素朴な好青年の顔から、六年の監獄生活で鬱積した負の感情がどす黒く表れた囚人の顔、かつて検察官として自分を監獄送りにした新所長の娘との出逢いにより、再び希望が湧きはじめた顔。彼は、過失で人を殺めたせいで検察官に事情聴取された際、「愛称はボブか?」と訊ねられて、パッと明るい表情を見せるが、収監されて後に、新所長となったその男ブレディから同じ質問をされた時のロバートの顔は、まるでゾンビのように変貌している。そして、ロバートはその質問を憶えているのに、相手はすっかり忘れているという非対称な関係性。

この新所長は、就任早々に、彼が検察時代に送り込んだ囚人たちが抗議の声を上げた際、「検察の頃には起訴するのが私の仕事だった。もし知事に選ばれていたなら統治に務めただろう。今は所長としての務めを果たすだけだ」と、葉巻を咥えながら囚人たちの憎悪の視線の只中に悠然と歩み入る。検察時代にロバートと会う前にも、資料を見て「私が弁護すればこの青年は無罪放免だ」と、ロバートを擁護する発言をする。だがいざロバートの弁護士と対面すると、検察として告発の言葉を吐くのだ。

つまりブレディは、個人的な感情で誰かに肩入れする事はなく、自らの職務にのみ忠実な男なのだ。そんな彼の唯一の私的感情としての、娘への愛。しかしながら、彼女がロバートへの想いを告白した事で、ブレディはロバートを釈放しようとする訳だが、そこに何の葛藤も描かれず、娘の「彼を愛してるの」の一言でコロッと態度を変えるというのはご都合主義にすぎる。

ブレディが、法的な手続きによってロバートを救おうと決意した直後、囚人ギャロウェイは、自分の身代わりのようにして地下牢に入れられたロバートを救う為に、囚人ランチ殺害で裁かれるべきはロバートではなく自分だと告白する。ランチは、脱獄しようとした囚人の事を告げ口した事で殺された。ギャロウェイは、彼自身が仮釈放中に飲んだ一杯のビールの事を告げ口したグリーソンを道連れに殺し、射殺される。

この、告げ口という行為と、ロバートは無実だという主張は、いずれも「他者を法に委ねる」という点では同じでもある。唯一の違いは、自分が功績を得る為に行なうのか、相手を救う為に行なうのか、の違いなのだろう。最終的には、裁く側、裁かれる側の違いを越えた、人としての「code」が示されるのだ。

(評価:★3)

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