[コメント] あるアメリカ消防夫の生活(1903/米)
さて、編集技法の革新かどうか、といった事柄から離れても、面白さを指摘できる部分は多くあると思う。まずはファーストカットで既に驚かされる。消防士が画面左の椅子に座って寝ている(?)のだが、画面右半分には、大きな円形で彼の夢(妻子の様子と思われる)が映っているのだ。これは二重露光だと思うが、やろうとしていることは『大列車強盗』のファーストカットと同じ志向性だろう(『大列車強盗』の窓外の列車はスクリーンプロセスか)。
また、ファーストカットの消防士はタイトルロールだと思わせられるのだが、以降、彼が特定(判別)できるかたちで描かれていない、という点も重要に思う。多分、終盤の火事場で救出活動をする消防士とファーストカットの彼は同一人物なのだろうと推測するが、画面上で同一視できるサインは何もない。この時期の映画話法と観客の想像力のレベル、それへの依存が垣間見える部分だと思う。
同じような意味で、2カット目の警報機のアップショットも面白い。画面内に手が伸びてきて、警報機を鳴らす(止める?)動作が描かれるが、この人物を画面に映さないのだ(胴体や顔は画面外だ。しかし、この人物もファーストカットの彼かと思う)。
あと、犬の存在も指摘したい。まずは、消防署から消防車(馬車)が出動するシーン。消防署内のカットで、犬が走り回るのがかなり印象的に(ロングショットだが大き目に)とらえられる。続く消防署前から撮ったロングショットでも犬が見えるし、さらに、道路を走る消防馬車のショットでも、別の複数の犬がはしゃいでいるのが分かる。私は、リュミエールみたい、と思いながら見た。また、この消防馬車が路上を走る場面では、続々と10台近くをフレームイン・フレームアウトさせるのだ。この過剰さも大事な点だと思う。どんな大火事かと思ってしまうが、これがいい。
そして、到着した火事場は小さめのアパートという落差。こゝは到着した消防馬車から、ゆるやかにパンして建物を見せる。救出シーンは一部屋、一組の母子のみ描かれるが、これが、同一時間軸の救出シーンを、屋内と屋外の2回繰り返す。つまり、屋内から固定ショットで描いた後、時間が遡り、同一の事象を屋外から固定ショットで撮った場面が繋がれるのだ(これをクロスカッティングに改変したバージョンが後に作られたということだ)。キューブリックやタランティーノを知っている私でも違和感を覚えるが、当時の観客には、すんなりと受け入られたのだろうか。
尚、救出される火事場の母子と、ファーストカットの消防士の夢で登場する母子が、同一かも?と思ったが(火事場の母子は消防士の妻子ということになる)、部屋の様子(壁紙の模様など)から異なることを確認した(でも結構似ている)。それと、時間を遡って別の視点から同じ事象を反復する見せ方は、序盤で出てきた消防署内の視点の出動ショットと、消防署前の視点からの出動ショットの繋ぎにも、その傾向が感じられると思った。
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