[コメント] しんぼる(2009/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
『大日本人』と較べると、本作は一本として映画を作ろうという思いが根底にあるようで、少なくともその意気込みは評価したい。それに松本監督は、映像的な笑いのセンスはたいしたもので、必要最低限の舞台装置で次々と笑いを引き出していく。
しかし、それはそう思いながら、やはり『大日本人』同様にどこかはまれないものを感じたのは事実。面白くはありながら、何がそんなに引っかかるのか、少々考えてみた。
松本監督は「シネマ坊主」という映画エッセイを長く書いているくらいだから、映画の知識はあるし、それを批評的に見て、本当に良い映画のことも知っている。
それで敢えてそれらの知識を総動員し、「既存の映画を超えてやろう!」という思いがあり、更に自分がこれまで培ってきた芸風を入れてやれ。という義務感もあったのだろう。あくまでこれは松本人志という個人的な芸を見せるために作ろうという思いがあった。
結果として本作は前提としての縛りが多すぎた。結果として出来たのは、いろいろチャレンジした上で映画にはなっているのだが、出来たのは前衛劇の出来損ないのようなものになってしまった。
ここにあったのは、「俺はこんなことも出来るんだぞ」という傲慢な思いでしかない。
それを較べると、本作は前衛劇的というよりは前衛劇風の作りで、オチの主人公が神となるというのも、実はそれほど目新しいものじゃないし、70年代に作られたようなものを「何で今更」感が強い。
おそらく私が本作で根本的に受けてしまった違和感は、そういった傲慢さを感じ取ってしまったからなのだろう。
思えば、同じ芸人出身で、傍若無人な物言いで知られる北野武(ビートたけし)との対比でだと、北野たけしとしては、テレビバラエティではあれだけ無茶苦茶な事を言っているようでいて、北野武監督として映画になるときちんと基本に立ち返り、真面目な映画作りをしている。映画に対して真っ正面から向かい合っているのだ。少なくともそのような気持ちにさせられる。
そんな北野監督の作風と較べると、松本監督は自分の才能をひけらかすためだけに本作を作ったのでは?と思わせてしまった。
しかし、改めて考えてみると、「映画」って一体何だろう。どれだけ偉いものだろうか?今や映画だって公開から少し待てば安価でレンタルできるし、同じ値段でバラエティやテレビドラマも手軽に借りられる時代。映画の持つ意味合いも変化しているのかもしれない。たとえ映画になっていなくても、それをビデオで出すという前提で作るのならば、こう言う作品になっても問題ないのかもしれない。
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