コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 吾輩は猫である(1936/日)

この有名原作の映画化作品は本作−山本嘉次郎版と1975年の市川崑版の2作のみのようだ。原作を読んだのも市川版を見たのも、遠い昔のことであり、詳細を比較した感想は困難だが、本作の人間模様は原作に近く、市川版はかなり改変されていた。
ゑぎ

 例えば、市川版のヒロインは、苦沙弥の姪、島田陽子演じる雪江だった。ただし、市川版で描かれていた(苦労して撮られていた)猫模様(猫の描写)については、本作ではバッサリと省略されており、この点は、そういう選択もありかとは思うが、物足りない。「吾輩」らしき猫が出て来るシーンも僅少だし、隣の三毛子やクロの存在はない。

 とは云え、人間を描いたプロットは市川崑版のイヤらしい演出と比べるまでもない山本嘉次郎らしい素直な良い出来だと思う。良い画面・演出をピックアップして記載していこう。まず書きたいのは、序盤にある2つのフラッシュバックだ。一つ目は、苦沙弥−丸山定夫の家に来た迷亭−徳川夢声が、寒月−北沢彪と金田の令嬢・富子−千葉早智子の馴れ初めを語る場面(こゝで東風−藤原釜足も登場する)。これが迷亭の回想かと思わせて、単なる想像だったというオチ。もう一つが、寒月の回想で、向島で行われた演奏会からの帰宅途中、吾妻橋の欄干から飛び降りるクダリ。吾妻橋の上の北沢の仰角ロングショットがとてもいい。ちなみに、演奏会の描写も、バイオリンを弾く北沢からトラックバックして、ピアノを弾く千葉を見せるという導入部が良く出来ているし、演奏が行われる建物も豪奢なもので、外国映画のようなゴージャスな画面になっている。

 また、本作の金田の令嬢−千葉の造型も怒りっぽくて高慢ちきなものではあるが、だからこそ(と云っていいか分からないが)千葉の美しさがよく感じられると思った。金田の家の描写では、電話室のようなスペースがあり、電話機を複数台並べて、何人かで同時に使用できるようになっている。千葉と三平−宇留木浩が2人並んで、同時に喋るという科白の重複演出をやっているのには驚かされた。『ヒズ・ガール・フライデー』よりもずっと早い例だ。

 あと、本作も、苦沙弥が隣の落雲館中学(高等中学校)の学生たちから嫌がらせを受ける場面があり、大勢が庭に入ってきて野球ボールを探し回るのだが、このシーンの途中で、走るオープンカーに、金田−森野鍛治哉とその手先の御橋公、三平−宇留木の3人が後部座席に乗っているショットが唐突に挿入される。この処理がなかなかカッコいいカッティングだと思った。このように、前年の『坊っちゃん』以上に、映画らしい画面を作るという創意が感じられる出来栄えではないだろうか。

 そしてラストは「この下に稲妻起る宵あらん」という句で締められる。これが気になって調べたが、矢張り原作にはない、しかし、漱石の詠んだ句の引用のようだ。「稲妻っていうと?」と三平から聞かれた苦沙弥は「猫の目だよ」と答える。これ以外に何の説明も無い、とってつけたようなエンディングだが、「吾輩」が溺れながら独白する原作に替える措置としては、とても賢明なものだと思うし、このそっけなさがカッコいい。

#備忘でその他の配役などを記述します。

・苦沙弥の細君は英百合子。夫(苦沙弥)との掛け合いはやっぱり実に面白い。本作の苦沙弥の姪・雪江は堀越節子。2シーンのみの出番。

・金田の細君・鼻子は清川玉枝。付け鼻で別人みたい。隣人の車屋のカミさんで清川虹子。その旦那は西村楽天。息子は大村千吉か?

・寒月に金田の令嬢・富子を引き合わせた阿部博士夫人は伊藤智子だ。寒月が連れて来る女性は宮野照子。1シーンのみの出番。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。