[コメント] カイジ 人生逆転ゲーム(2009/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
なんだか『ライアーゲーム』と『蟹工船』(2009年)を足して二で割ったような半端な作品になってしまった感がある。尤も、地下生活の描写は『蟹工船』に比べたらまだマシだとは思えたけど。
映画版の続篇が公開されたのに合わせて映画館で配布されていた、原作マンガの掲載された小冊子を覗いてみたら、例の「沼」がアニメで観ていたのとは比べものにならぬほどチンケなものにしか描かれていなかったので驚いた。というわけで、僕の『カイジ』観は、原作マンガに対して後出しジャンケン的に表現を強化したであろうアニメの印象に支配されているわけですが、アニメだからできるデフォルメという点を差し引いて考えても、やはりこの映画版は遥かに劣ると言うしかない。
元々女っ気の極端に乏しい『カイジ』。地下に落とされた男たちの餓えも、食欲や、暗く狭い生活空間の閉塞感ということに限られていて、女を抱きたいとかこぼす者が一人もいないことに違和感を覚えもしたのだが、あんな状況で性欲が目覚めたら野郎ども同士で「やらないか」という修羅場になって作品の方向がおかしくなるからわざと避けたのかもしれない。映画としては華が欲しいのだろうから、遠藤(天海祐希)や、石田のオッサン(光石研)の子が女性に変えられているのはまぁ別に構わない。チラッとでも吉高由里子が見られてよかったし。
だが、カイジ(藤原竜也)が遠藤に向かって、トイレで「迷ったら…望みだろ…!望みに進むのが気持ちのいい人生ってもんだろっ…!」と訴える台詞、あれは男子トイレで男同士で向かい合っているからこそ生まれる情念というものがあった筈。女人禁制だろっ…!と思わなくもない。それ以上に、この映画版では遠藤は特に追い込まれた状況に置かれているわけではなく、地下での労働に人生を捧げる羽目になるかもしれぬ賭けに出る必然性が乏しすぎる。そして、カイジの言葉を受ける遠藤の側の態度もクールなものに終始し、もし地下に落ちたら、一生、毎月ビールを奢るというカイジの、ささやかながらも地下では貴重な出費でもある約束の持つ痛切な思いも雲散霧消。第一、地下で男女が共に居られるのかというそもそもの疑問も湧いてくる。いいかげんな脚本だなぁ。遠藤が兵藤会長(佐藤慶)に年齢を尋ねられ「39です」と答えるシーンがあるが、たぶん脚本家自身が、アラフォー女性としての何らかの個人的な心境を託してしまったのではないか。脚本としては完全なるミスとしか言えない。
「Eカード」でカイジが賭けさせられたものや、彼がとった起死回生の策略に於ける悲壮感も失われ、いまひとつ「ざわざわ」しない。利根川(香川照之)の土下座が無くなったのは、色々用意するのにかかる手間や予算の都合もあったのかもしれないが、『カイジ』の地獄的な世界観が多分に失われたのは確か。
藤原の、劇場の最後方の客席にまで声と身振りと表情とを伝えようとするような演劇的演技が、普通の駐車場で発揮される様には、笑うしかない。最初から最後までこの演技で押し通すので、「Eカード」などでの勝負どころではそれでもいいのだが、全体としては、何だか観ていて無意味に疲れかつバカバカしくなってくる。香川はそれなりに頑張ってはいたが、利根川の、最初は紳士然としていながらも既にその傲慢さが顔面から溢れ出ているようなキャラクター性が消えているのが物足りない。まぁ全て原作通りにする必要も無いのだが、彼が遂に言い放つ「ファックユー!ぶち殺すぞ、ゴミめら…」という台詞、まるで迫力が無い。それに、やはり、あれだけの地位に登りつめた男としては、髪もロマンスグレーの、それなりの年齢の役者に演じてもらいたいところ。説得力が無い。兵藤会長の顔面の老醜もけっこう大事なポイントの筈なのだが、そこも普通のきれいな爺さんになっていてつまらない。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。