[コメント] S21 クメール・ルージュの虐殺者たち(2002/カンボジア=仏)
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単純な構図とは、こうだ。政権を取ったクメール・ルージュは反対派(=敵)を根絶やしにするため、集めて消す(殺す)ことを考えた。職員には純真な若者を、洗脳と恐怖(命令無視は死刑)で仕立てた。 [看守証言:党は間違いはしないので、ここに来た人は敵です。敵は殺すしかありません]
当然、拷問をして仲間の名前を自白させた。最初の頃は本当の政治犯も多く、中味の濃い調書だったが、挙げられた名前が5,60人にもなって、その1人が又5,60人を自白すると、無実な関係のない人も多くなって、内容が薄くなって来た。 しかし[尋問官証言:いっぱい書いてある立派な調書を一生懸命作った]とのことだ。
‘立派な’調書作りは延々と続く。罪の欄も「反政府活動」→「悪口を言った」→「仕事で手を抜いた」→「遅刻した」になって行った。さすがに党も段々と調書を信用しなくなっていた様だ。
調書は上の如くだが、処刑においても「さっさとやって帰ろうぜ」という単純なルーティンになっていった。
20年もたっているので、両者の対峙が大声での応酬になるとは思っていなかったが、余りにも静なものだった。詳しくは記さないが、「洗脳されていた」「俺たちも被害者だ」とボソボソ言うのが印象的だった。
人は殺されると分かると、何でもする。そして、することがルーティンになり、最低の事だけを何も考えずに行うようになるようだ。
この収容所は虐殺、虐殺といわれるが、こんな状態になった人々の中では、人の命なんて有って無いも同然なのだ。人間の本質がそのまま表れた収容所だったと思う。
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