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[コメント] 東京オリンピック(1965/日)

これぞモンタージュの傑作。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 オリンピックを単なるスポーツの祭典としてではなく、国威を印象づけるために映画が作られることは、既に一度1936年のベルリンオリンピックで行われている。この時は当時の首相ヒトラーの肝いりで、ナチス子飼いと言われたリーフェンシュタール監督によって『オリンピア』という名前で公開(現在手に入れられるソフトとしては『民族の祭典』と『美の祭典』という二巻ものとなってる)。

 映画史に残る名作として知られる『オリンピア』は単なる記録ではなく、スポーツを演出として捉え、選手の躍動美を中心に描いたものであり、見事なモンタージュ作品として仕上げられていた。

 その影響もあったのだろう。本作も又、モンタージュ理論を駆使して作られているが、本作の場合は肉体美と言うよりも、むしろ選手の内面である精神面の方を映像で描こうという試みに思える。

 オープニングから、日本の復興を印象づける工事から始まり、競技も勝ち負けよりも選手の表情や、肉体を使った喜びや悲しみの方を印象づけるように作られてる。素材がきちんとしているのならば、その組み合わせでここまでのものが作れる事を示し、モンタージュを駆使することで、映像はそれだけで心まで表現できることを見事に証明した作品でもある。

 精神を描き出そうという本作の試みは、当時のオリンピック担当大臣の河野一郎からは「これは記録映画ではない」と不満が出たものの、海外でも評価が高く、オリンピックを撮影した映画の中でも最高作と言われている。

 改めて思うのは、スポーツというのは何も結果を見るだけでは終わらない。勝ち負けの喜怒哀楽も含め、戦っている人間の姿を観る事が楽しいのだな。その事をよく分かっているからこそ、本作では競技そのものよりも人間の表情をよく映し出している。

 『オリンピア』、本作、そして実際の今のオリンピックを観るにつけ、スポーツというのはどんどん進化していったことも思わせられるものである。特に走り高跳びは随分変わってきてる。『オリンピア』の時はヒッチキックと呼ばれる脚でバーを踏み越える方法、本作ではベリーロールと呼ばれる正面からのジャンプ。現在は背面跳びばかり。着地のマットも進化しているから、着地の危険を考えずに済むようになってきているのだな。

(評価:★5)

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