[コメント] 修繕されたリュート(1909/米)
ドラマの複雑性への挑戦も過剰な演技と分かりにくい対比の図式でテーマが映像に埋没しているBAD作品
インディアンを題材にとったのはコスチューム・プレイへの傾倒だろうか、しかしながら、その族同士の対比が、あまりにも分かりにくい葛藤関係の提示はドラマを複雑化していこうとするグリフィスの作家性の前にあえなく消沈している。また、ここにきて役者陣の過剰な演技に気が掛かる。この期のグリフィスの場合、ことにコスチュームを身にまとった演技演出において、過剰で押しつけがましい表層があまりにも前時代的で、コスチュームを用意するだけの予算を手にした嬉しさなのか、その気負いが前面に顕在化して一笑に付すという出来合いは残念だ。おしむらくはインディアンという原始的なキャラクターを題材に、映画のスケール感をものとしようとしたバジェットムービーの一種であろう。まだまだグリフィスの習作期である。
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