コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 夜の女たち(1948/日)

劇伴はベートーヴェンの「運命」の一節に似た旋律で、切羽詰まったような旋律を繰り返しながら、どこへ発展していくでもなく悲鳴に似た音を伸ばして途切れる、という、この映画の物語を体現したような印象だ。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







田中絹代の不安な心境の暗喩のように何度か挿入される列車の音。だが、闇の女として捕えられた彼女が塀を乗り越えようとするときに聞こえてくる蒸気機関車の汽笛は、彼女のバイタリティを感じさせる。

少し見ぬ間にすっかりピッチに変貌してしまっている田中絹代には驚かされるが、彼女を探しに来た妹が、闇の女と間違われて連行されたり、同室になった娼婦たちに小突きまわされたりと散々な目に遭うことで、田中絹代がどんな世界に堕ちてしまったのかが如実に感じとれる。

ラストに、焼け跡の瓦礫と、焼け残った、聖母マリアが嬰児を抱くステンドグラス、そしてそこに集まる闇の女たちを配することで、この映画の主題が全て凝縮されている。劇中で、保護施設の男が言う「自分だけではなく、他の女たちの純潔をも守ろうと努める、新しい女になりなさい」という言葉に反撥するように、田中絹代が、人間という人間を呪うと叫んだ後で、それでもやはり、男に犯され騙され、娼婦たちに身包み剥がされて、闇の女の仲間入りをしようとする娘を連れて、帰ろうとする。ここでも娼婦たちは縄張り意識むき出しで田中絹代を小突きまわすが、遂には、一人でも救われる女がいるなら良い、と態度を改める。普通の女、足を洗おうとする女を貶めようと群がる娼婦たちも、結局は自分たちの苦境を呪うが故にそうした暴力性を現わしていたわけだ。

何せ古いフィルムなので、所々コマ落ちしていたり、白黒の映像にも時間の残した傷跡が見られるせいで、デジタル媒体で観ているのも忘れて、「途中で途切れたりせずに、最後までちゃんと観られるんだろうか…?」と、つい心配になってしまう。だが、このボロボロな感じが却って映画の内容に合っているのが、僥倖と言うべきか、皮肉と言うべきか。

ボロボロになっていく女たちの姿は、社会がボロボロである状況が、より弱い所へとしわ寄せしていった結果なのだ。当の女たちの仲間内で、弱い者が強い者に抑圧されるのは、社会で女が男に、貧者が富者に抑圧され利用されているのが投影された結果である。そのことが、男でありまた富者でもある社長の妾として、犯罪の隠蔽の手助けまでさせられながらも裏切られる田中絹代や、その社長の子を身籠ったら「堕ろせ」と言われる妹の姿に象徴されている。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。