[コメント] 人生であるように(1910/米)
劇空間のスケールの矮小ぶりは想像力の乏しさを伺わせてBAD
これもジャンル作家グリフィスの一仕事となったいわゆるホームドラマものである。しかし、ホームドラマでありながら、室内空間での芝居は一切なく、物語はすべて戸外で語られるという不思議な一作である。美術セット建てこみ分の節約なのかどうかはわからないが、経済的な事情を理由に、劇空間の矮小化を生んでしまうのは、罰するべき行為である。しかしながら、鳩農園での、鳩が画面いっぱいに充溢する描写は、グリフィスならではの豪奢な画作りであったといえよう。もしや、こちらの鳩描写を実現するために、なくなく美術セット分を浮かしたか、まあともかく、噴飯ものなのは、嫌がる父親の前で男と抱擁する娘のシーン。これをすべてワンカットで見せるという繊細さのかけらもない演出である。映画先史時代とはいえ、これでは芸術と呼べる代物ではない。多作作家の宿命である駄作のフィルモグラフィは、後の大作家グリフィスにも然りな一時代であった。
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