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[コメント] ずっとあなたを愛してる(2008/仏=独)

これも感動的な「顔」の映画だ。初演出作を手堅く、また見事に仕上げてみせたクローデルも当然それを承知していただろう。映画は美貌と老いと虚無を湛えたクリスティン・スコット・トーマスの顔面アップによって始まる。彼女に向けられるエルザ・ジルベルスタインのまなざしは愛の無償性を思わせる。
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カッティングのタイミングをやや急ぎすぎたり、シーンをフェードアウトで閉じる仕方に安易さを覚える箇所があったりと、上手くいっていないところももちろんいくつかあるものの、これほど誠実かつ丁寧に撮られた映画を悪く云う気にはとてもなれない。トーマスと周囲の人間の物語がラストシーンに至るまで確実な手つきで織り上げられている。トーマスがベビーシッター役を務めることをめぐるジルベルスタインの夫の態度の変化であるとか、劇展開の配分の巧みさについては云うまでもないだろう。したがって、ここでは画面そのものに目を凝らしてみたい。

この映画で最も感動的なシーンのひとつはトーマスとジルベルスタインがピアノを連弾するシーンであろうが、それはなぜか。まず、出来事自体が感動的だというのはあるだろう。ジルベルスタインの「片想い」ばかりが強く、いまだに打ち解け切れなかった姉妹が心底からの笑顔を交わすこと。そこに彼女たちの「過去」が響いていることも情景に深みを与えている。ピアノの音色に合わせてジルベルスタインの養女がくるくると踊りだすことも感動をより大きなものにしているだろう(プチリス可愛すぎ! と同時に「回転」はやはり映画的な運動であるとの思いも新たにします)。だが、このシーンにはそれまでのシーンとは決定的に異なった箇所があり、それがここでの感動を絶対的なものにしていると云ってみたい。それは「画面上の人物配置」だ。ほんの少し注意深く画面を見ていれば気づくことだが、映画が始まって以来トーマスは他者と横並びに位置するとき、彼/彼女を自分の左側にしか置かない。人が自分の右側にいることを決して許さない(もちろん友人たちとの会食であるとか大勢の人物が登場する場面はこの限りではありませんが。ところで、この会食の直前にあるサッカーのシーンなどもとても幸せで大好きなシーンです)。しかし、この連弾シーンに至って初めてトーマスは人(ジルベルスタイン)が自身の右側にいることを許す。その「例外性」が観客の視覚を激しく動揺させ、感動を呼び起こす。以降、トーマスはジルベルスタインが相手のときに限って、立ち位置の左右にこだわらない。「許す」という語を用いたが、まさしくトーマスはジルベルスタインに心を許したのだ。「心」を「許す」という二重の不可視が「人物配置」という可視のものによって画面化されているのだ。

それはうがちすぎではないか、との声もあるかもしれない。それでは「証拠」として、もうひとりだけ存在する、例外的にトーマスの右側に位置することが許された、すなわちトーマスに心を許された人物を呼び出そう。それは、元刑務所の教師であり、現在はジルベルスタインの同僚の教授である、そしてトーマスとジルベルスタインによって演じられるラストシーンのもうひとりの登場人物でもあるところの、ロラン・グレヴィルである。

(評価:★4)

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