[コメント] ダーリンは外国人(2010/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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度肝をギュッとね。
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<華>という文字の造形上の美しさに感銘を受けたというなら、留学先は日本ではなく中国にすべきだったのでは?と思わないでもないが、そこらへんがトニー君にとぼけた味わいを与えている。実際には、この物語の基となった話の時代は、今より20年くらい前だろうから、中国への留学は簡単ではなかったとかの事情かもしれないが。
いずれにしてもこのトニー君、アメリカ生まれなのに胸板も薄く、マッチョなところが全然ないのがいい。アメリカ人男性は皆マッチョイズムの洗礼を受けていると考えるのは、かえってこっちの偏見なのかもしれないが。別の映画で、アンソニー(=トニー)という名前は、英国趣味の母親に付けられた、てな述懐を見たことあるから、そういう影響もあるのかもしれない。まあ、その家族こそが、トニーに家事全般を一切教えてこなかったわけだけれど(俺だって食器洗いや洗濯物干すくらいは、(ごく)たまには手伝わされたゾ。自慢するほどのことぢゃないか)。
映画は、基本的に女性の観点から、主人公・さおりの心象風景を中心に進んでいく。だが俺は男だから、やっぱトニーの心情が気になった。彼は、さおりが本当に自分のことを好きなのかどうか、不安を感じたのだと思う。それは、マッチョではありえない男の本質的な弱さなんだけど。さおりがいわゆる「カンタン」な女の子でないことはよく知っているけれど、自分が<ガイジン>だから、という部分がまったくないのかどうか、自信が持てなくなったのだ。自分を追い掛けてアメリカへやって来たさおりと邂逅したとき、「君を連れてこなかったのは間違いだったのじゃないかと考えていた」と言った台詞は、まったくもって彼の心情にのみ寄り添った述懐だったと思う。
だから、さおりが和食をふるまった後の唐突な求婚は、彼にとってのマチズモの回復なんだよね。まあ、俺はそんな風に見た。
派手さはないが、ハートウォーミングという言葉がぴったりの、日常を見つめる視線が確かな作品。
80/100
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