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[コメント] 17歳の肖像(2009/英)

原題の「AN EDUCATION」に忠実に、優等生少女が勉学というEDUCATIONと、大人の男による人生の勉強というEDUCATIONを天秤にかける。この主題の処理は半端に終わって見えるのだが、その半端さ自体に人生についてのEDUCATIONを込めたのかどうかは不透明。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







デイヴィッド(ピーター・サースガード)とダニー(ドミニク・クーパー)の美術品への尊重の念は、「金目の物を(不法に)頂いてしまう」という窃盗犯としての嗅覚へと置き換わる。思い返せば、ジェニー(キャリー・マリガン)とデイヴィッドの出逢いのシーンでも、チェロだけでも雨のしのげる車内に置かせてくれと言うデイヴィッドにジェニーが返す「そのまま持ち逃げするかも知れないでしょう」に対しデイヴィッドが、チェロ代に相当する金額をジェニーに預けようとする行為も、芸術を金に置き換える行為という意味合いを感じさせる。

デイヴィッドがジェニーの家で彼女の両親と会うシーンでは、父と母が同一ショット内に、ジェニーはデイヴィッドと同一ショット内に、と、ショット内の配置によって、「あちら側」と「こちら側」が区別されている。この点は、ダニーとその軽薄で無知な恋人ヘレン(ロザムンド・パイク)と行動を共にするシーンでも多分に適用されていた印象がある。この四人が初めて一堂に会する音楽会の後の、ディナーのシーンでは、ジェニーに芽生え始めた恋心そのままのような歌詞を唄う女性シンガーが、ちょうどジェニーの後景に配されたショットがある。彼女の眼前で戯れてみせるダニーとヘレンの姿は、デイヴィッドとジェニーがこれから発展させていくであろう関係を暗示する。シンガーの歌声が心持遠のいていくように感じられ、にわかに不穏な空気が漂ったかと思うと、幸福そうなジェニーを捉えたカットは中途感のあるタイミングで断ち切られる。自宅に帰ったジェニーは、食器の焦げを一心不乱に落とそうとする母(カーラ・セイモア)の姿に遭遇する。偏屈な父(アルフレッド・モリーナ)に対してジェニーを擁護していた母との間にさえ、早くも距離感が生じているのだ。

デイヴィッドがダニーと共に、他人の家から古地図を盗んだ後のシーンや、空港のホテルでジェニーがデイヴィッドと一夜を過ごすシーン、デイヴィッドが婚約指輪を渡そうとするシーンなどでは、言葉を交わすジェニーとデイヴィッドの姿が切り返しショットで重ねられた後、二人が同一ショットに収まるという「解決」を得る編集が採用されている。ホテルの一夜のシーンを見ても、ベッドを共にする二人がいったん同一ショットに納まっていた後で、処女喪失に供えてバナナで予行練習しようと冗談めかして持ちかけたデイヴィッドに、ジェニーが「子ども扱いはやめにして」と頼むところで一度彼女はベッドから離れ、切り返しショットによる会話シーンとなる。そして、二人が一緒にソファに座ることで、同一ショット内への回帰という解決を得る。そもそも出逢いのシーンからして、歩道と車内の切り返しショットが続いた後、二人共に同じ車内に収まるという解決を経ているのだ。ジェニーが、お人よしなだけで何の面白みも無さそうなボーイフレンドと校舎の前で別れた際には薄暗い空だったのが、デイヴィッドと家に到着した時点できれいに晴れている演出も良い。ジェニーの誕生パーティシーンでも、真っ暗な中、ボーイフレンドや両親らと四人でテーブルを囲んでいる光景から始まりながらも、蝋燭が吹き消されて部屋が明るくなったところでデイヴィッドが訪ねて来、ボーイフレンドは早々に退散する。

その一方、デイヴィッドとの、ジェニーの人生に於いて重要な出来事であったはずの処女喪失シーンはあっさりと省略され、観客は事後的にそれが済んだことを知らされる。芸術作品を通じて知っていたのとは違って呆気ない経験だった、というジェニーの感想の通りに。全篇を通してデイヴィッドの存在は大きいのだが、それでいて彼はジェニーの人生に於いて通過点に過ぎないことが見てとれる。彼の嘘が発覚した後は、それまでの存在感までもが嘘だったかのように、その姿も存在も雲散霧消する。ジェニーがデイヴィッドと出逢う雨のシーンで、「君のチェロが心配だ」という言葉がきっかけになっていることや、彼の妻子の存在を知ったジェニーがその家を訪れたシーンで、眼前の妻に対し「番地を間違えました、チェロ教室かと…」と嘘をつくジェニーの台詞からして、校長から復学に難色を示されるシーンでは、そのままチェロの道に進むのかと予想したが、意外にも普通に英文科に進学することになるジェニー。

デイヴィッドと共に父親を騙していたジェニーは、自身がデイヴィッドに妻子があることを隠され騙されていたことを知る。部屋に閉じこもった彼女に対して父が扉の向こうから、「C.S.ルイスは恩師だ」というデイヴィッドの言葉が嘘であったことを、偶然ラジオで、ルイスがオックスフォードに移ったのは最近のことだ聞いて気づいたことを告白する。「誤報だと思ったよ、何しろ本にサインを貰ったんだから」。だがそのサインはジェニーがデイヴィッドと偽造したものなのだ。涙を流すジェニーに父は、「紅茶とビスケットを置いておくよ」と扉の下にそれを置く。この辺にいかにも英国らしい家庭性が見えて何だか嬉しい。日本ならばおにぎりを置くのに該当するような行為だろう。

尤も、この父親が、ラテン語の成績の悪いジェニーに「投資が無駄だ」と怒ったり、デイヴィッドの車に乗って外食しようとするシーンで、ガソリンスタンドで停車している際に「ガソリン代は出すべきかな?却って失礼か?」と気にしたりする姿など、どのシーンを見ても彼の言動は全くの戯画でしかなく、結果、娘に対する改心を様子を見せても、そこに父の愛情の発露といった感動は充分に生じ得ない。ここは匙加減を間違えたと言うべきか。

処女喪失シーンのあっさり感に対応するかのように、ラストシーンもやや淡白に過ぎるほどあっさりしたものだが、その代わりというか、エンドロールの歌が、ジェニーがデイヴィッドと過ごした時を熱烈に回想する。この点、デイヴィッドへの恋心を女性シンガーの詞が代弁していたことを想起させる。絵画や音楽といった芸術が(唯一変わらぬ)心の拠り所であるジェニーの心情には巧く嵌っていると言っていいだろう(紆余曲折の後、女教師(オリヴィア・ウィリアムズ)の自宅を初めて訪ねたジェニーが、部屋に飾られた絵について「変わらず好きよ」と言った台詞に女教師は「年寄りみたいな言い方ね」と返すと、ジェニーは「年を取った気分だわ」)。

結婚を約束した男が妻子持ちで、結婚生活という将来を絶対的に保証してくれない存在だったことを知り、急に焦るヒロインの姿には、現代の視点から見れば違和感を覚える。デイヴィッドは「離婚するから」と言い訳をするが、ということは一度結婚したところで結婚生活にも絶対の保証は無いということ。そこでジェニーが選ぶ英文学科進学という進路は、父が「将来性が無い」と不満を漏らしていた進路であるが故にジェニー自身の意思が見てとれるのだが、ラストシーンでの、どこか空虚な大学生活を送っているように映じてしまうジェニーの様子は、デイヴィッドが彼女に施したEDUCATIONの後遺症の深さを思わせる。ジェニーが学校のEDUCATIONについて校長でさえその意味を説明できないことに傲然と反抗する姿が頼もしかっただけに、彼女がこの後、デイヴィッドらとの日々に匹敵する時間を送ることが永遠に叶わなさそうな予感を漂わせる、早くも人生が終了したかのような結末は、あまりに苦い。大学合格さえ、勝利というより敗北として映じてしまう。

意外にポップで落書き的なガチャガチャ感に溢れたオープニングはかなり好み。

(評価:★4)

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