コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 告白(2010/日)

分かり合うことの難しさ、魂の孤独
paburo57

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 2009年本屋大賞に輝いた湊かなえの原作の映画化。私は原作を読んでいないので、原作と比べる事はできないが、どうも原作に忠実に描かれているようだ。  ある1年B組の中学校女性教師が年度末の終了式後教室で生徒を前にして話し始めることから始まる。女性教師は自分の結婚の話から、娘が生まれた話へと話は繋がっていく。そして、このクラスの生徒に娘は殺されたと話し始める。名前はいわないがクラスの二人の男子生徒の手によって。匿名のまま語る女性教師、しかしいくら匿名であっても、生徒は誰かは分ってしまう。彼女は言う、「中学生を守るものは、少年法だ」と。少年法によって未成年者は死刑になることはない。いくら、憎んでも、死刑になることはない。だから、この問題は蒸し返す事はしない。といいながら、ある仕掛けをして、女性教師は学校を去っていく。

 その仕掛けによって、男子生徒たちは追い込まれていく。物語の進行と共に、少年がどうして女性教師の娘を殺す事になったのかが明らかになっていく。しかし、このような境遇の少年たちはこの世の中に沢山いる。今は特に珍しくないのだろう。それなのに、何故彼らは娘を殺したのか。思春期の一途さ、視野の狭さ、ヒロイズム、孤独、アダルトチルドレン、自己愛、アイデンティティー喪失の恐怖…。色々な要素が絡まりあって、この二人の少年たちの心理と行動が、殺人へと広がっていく。

 映画では、少年の「告白」、少女の「告白」のように、登場人物の目線で現実が描かれる。そこに描かれている、少年たちが抱える孤独や不安感は珍しいものではない。家族、家庭、親子関係の中で生じたそれらは、それほど珍しい事例ではない。しかし事件がおきてしまう。誰かが少しだけこの少年たちを理解していたのなら、共感する相手がいたのなら何も起きなかったのかもしれない。

 そんなちょっとした事さえ、人間は互いに理解し合う事はできず、共感しあう事もできない。ちょっとした言葉の不足、ちょっとした、諦め、ちょっとした我侭、甘え、タイミング、思い込み…。そんな中からおきた殺人事件。心はかくも伝え難いものなのだということをこの映画をみて考えずにはいられない。

 娘を殺された母親は少年法に守られた二人の少年に対して復讐を仕掛ける。それも時間をかけて、巧妙に。それは少年法に守られた少年たちを簡単に手にかけたりはしない。死んで地獄に落ちるより、生きて生き地獄の中に叩き込むにはどうしたらいいかを考え計画してきたのだろう。  しかし、人間はどのようにしても、その憎しみを継続させるにはエネルギーを必要とする。復習に凝り固まって冷酷な殺人鬼にはなりきれない女性教師は本来常識のなかに生き、よい教師になろうとしてきたのだろう。復讐を続けることは恐ろしく、苦しく辛いもだ。復讐の気持を持続し続ける事は、信じられないほどのエネルギーを必要とする。  しかし、人の「からだ」の中には、信じられないほどの、悲しみや苦しみや孤独が宿る時がある。復讐する気持と良心とのせめぎあい、自分を悪魔の領域へと駆り立てなければ遂げることの出来ない復讐。  映画の終盤に、娘への思いを抱えて、その苦しみ悲しさ無念さが、女性教師は夜道を歩きながら慟哭する。それは、内臓をも吐き出すほどの慟哭なのだ。「からだ」の中から出るものが亡くなってしまっても、それでも、噴出し続ける慟哭は、内臓を裏返して搾り出し、丸ごと吐き出すような慟哭なのだ。喉の奥から血を絞り出すような叫びなのだ。

 そんな慟哭のあと、人間は全身の力がぬけ立ち上がることが出来なくなる。全てを出し切ってしまうからだ。からだそのものが虚しくなっていく。しかし、女性教師は立ち上がる。立ち上がらせたのは何だろう。それは只一つ、殺された娘への想いなのだ。自分のからだは、とっくに限界に来ているにもかかわらず、それでも、やはり復讐を遂げようとする母親の愛なのだ。そんな母親の姿を松たか子は演じ切った。

 そして、ラストシーン。殺人者の少年の髪を掴んで、顔を持ち上げ、少年に語る言葉と共に次第に変わっていく表情。この映画はこの最後の表情を引き出すために存在しているのだ、と思わずにはいられない、演技を超えた演技。それをやりとげた松たか子という女優を私は見直した。それまでは決して、素晴らしい女優とは感じていなかったが、この作品で松たか子の女優としての天才を花開かせたのではないか。

 この物語をどのようにも解釈できるであろう。復讐劇ともとらえられるし、命の物語ともとらえることが出来る。

 人間は、肉体を持って生まれてしまったために、魂同士が切り離されて、孤独な「肉体」のなかに閉じ込められた存在である。私たちはそれでも足掻きながらこの先も行きていくのだろう。人間はどうしてこうも理解し合うことが、難しいのだろう。自分を伝えることが難しいのだろう。理解し合うことが難しいのだろう。

 私は命に焦点を当てるよりも、分り合えない人間の存在にどうしても目が行ってしまう。しかし、見た人がそれぞれに視点で、いかように観てもいい映画だといえる。  現時点で、明らかに、今年の邦画ナンバー1であるのは間違いないだろう。観てそんのない映画である。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。