[コメント] ペルシャ猫を誰も知らない(2009/イラン)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
やはり世界はある意味、ひとつの方向に向かっているんだ、という逆説的にこの映画を見ると、宗教的な色合いとかがにじみ出るような感覚が襲ってきます。
いやいや、この映画を否定的い捉えようとか、そういう意味ではありません。この映画が目指そうとする意思と意識は素晴らしい。この監督を称賛しますよ。ちょっと意味が違うかもしれませんが、少し反対側から整理しますね。
というのは、この映画の主人公は
西洋化=自由
というくくりの中で自国(イラン)を捨てて外に出ようとしています。
そうだなー、例えば『善き人のためのソナタ』という映画を確認すると、あれは明らかに西洋サイドから時の東ドイツについて描いた映画でしたね。
もっと生々しくいいますと『アンネの日記』
これは映画というよりも文学というか、トレンドというか、ようするにユダヤ人迫害という事実を世に知らしめた究極の日記ですね。
それはともかく、この映画はイラン人が西洋サイド(=自由)の目で自国を批判的に描いたという意味で、アンジェイ・ワイダのコメディ版とでも申しましょうか、とてもユニークなんですよね。
なかなか話がまとまらないんですけど、とにかく衝撃なのは、イランにもこういう意識とか意図をもった若者がいるということ。
ユダヤ人迫害とかいっても同じキリスト教の中の小さな争いです。
でもですね、このコーランと西洋(キリスト教)とでは、絶対的に神様に対する考えが正反対ですよね。
コーランの世界から自由な音楽を求めて「イギリスに行きたい」とかいう発想って、たぶん冷静に考えて出てこないと思うんですよ。
つまり、それほどインターネットの世界が多くの国のクロスボーダー化していて、まるで国境のない世界になってしまっているということもあるんでしょうね。
衝撃でした。
中国がネットを規制しようとしているという政治の姿勢は、この映画を見ればある意味理解できますね。(同調はできませんが・・・)
かつて見た『運動靴と赤い金魚』という映画(とても感動しました。)で描かれていた世界は、中国映画の『紅いコーリャン』とか『あの子を探して』の世界に共通する認識でしたが、この映画を見る限りイランも相当な勢いで若者の怒りとかエネルギーが蓄積されていることが認識できますね。
中東から西洋そして東洋へ。
世界の覇権が目まぐるしく変化することをうかがい知る映画でもありました。
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