[コメント] 七瀬ふたたび(2010/日)
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筒井原作映画に傑作なし、という勝手に作ったジンクスを唱えていたのは何年くらい前のことだろうか。思えば断筆以前の筒井の熱狂的なファンだった自分は、あまりに彼の作品に入れ込んだために、映画ならではの物語の語りなおしを認められぬほどに、偏屈になっていたのだろう。
しかし、筒井作品のなかでもベスト3には確実に入れたくなる『七瀬ふたたび』なればこそ、その採点には厳しくならざるを得ない。
例えば、ヒロインはリーダーであり、同時に孤独な超能力者の親代わりでもある包容力を備えた女性であることは無視してはいけないだろう。岩淵の(瑠璃に身を守らせるために)常に行動を共にしろ、との助言を訊き、そして本当に瑠璃が彼女の代わりに射殺された後、七瀬はこの上ない苦しさをあらわにする(原作での描写は映画以上に激しい怒気を含んだものだ)。だからこそ銃を構えた男たちに、ヘンリーとともに追い詰められたとき、七瀬はノリオを救助するためとはいえヘンリーを見殺しにしてはならなかったのだ。この映画においての第一の不満は、ヘンリーの使い殺しである。全ての子供らに愛情を注いでこそのリーダーだろう(ついでながら、予想GUYの兄ちゃんの日本語は非常に聞きづらい。もっといいアフリカ系俳優はいるはずだ)。
そして、敵の首魁である吉田の正体が迫害された孤独なファイアースターターというのもゲンナリする。原作では敵の姿は最後までベールに包まれており、あんなスケールの小さい駄々っ子ではない。それこそこの世界の意思が命じてゾンビのごとき戦闘員は動かされていたのであり、七瀬が倒れるまでその存在は謎だった。「七瀬たちは世界に殺されたのだ」と匂わせる演出こそが求められたものではないか。
最後に一言呈したいのが、終わり方だ。たしかに新しい切り口であり評価は出来るが、タイムトラベラーが次々とパラレルワールドを生み出してゆくことへの、無邪気な肯定はいただけない。去ってしまった世界で仲間が孤立無援の状況に追い込まれることを察知し、己の能力がただ己だけをしか救わない非力なものと見て、自分の存在理由を疑う藤子の苦悩をスタッフは確実に知っているために、彼女に絶望の言葉を吐かせたのだろう?それを覆したつもりで、ラストは妙な屁理屈を並べたとしか見えないために、やはり自分はこの物語を擁護できないのだ。
勿論、いいところも在る。テレパシーや頭脳内部のヴィジュアル的再現は、今までのSF映画を一気に古びさせてしまった素晴らしいテクニックだった。こうした映像の新技術は模索されている作品ゆえに、これもまた原作を超えられなかった事を惜しむのである。
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