[コメント] 闇を横切れ(1959/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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新聞社間の争い(地方紙と中央紙の争いではなく中央紙二紙の争い、というのがややショボイが)、ネタは鈴木伝明の昔からあるし、主役山村聰は『黒い潮』が想起されるが、本作はネタの早取り争いでも報道姿勢を競うのでもなく、地方の新聞社のシェア争い、及び米軍キャンプ地跡の払い下げ利権という企業映画にするのがマスムラらしい。
部下の川口浩との確執を見処にしているのだが、この二人の信頼関係は異常で、上司部下を通り越してホモセクシュアルな処がある。マスムラにしては珍しいかも知れない(キノシタなら幾らでもある)。
観光客を撮りまくり売りつけていた写真屋(DP屋とある)飛田喜佐夫が偶然に犯人を撮っていて、川口が証拠とするのだが飛田は殺される。スパイが新聞社にいるのかの疑念と推理劇は結局犯人山村。ヤクザ使って地元を仕切っている運送会社の滝沢修(悪役が上手い)にチクっていた。山村は川口に二段階革命論を語る、俺は地域利権に取り入って新聞のシェアを確保した。今こそお前らが正義の新聞づくりをするときだ、と華々しく滝沢と保守党を裏切り、フランス国家の口笛の劇伴流れるなか殺し屋に路上で殺される。
基本的に気持ちのいい話なのだが、何かギコチない。善が悪に取り入るにはまず悪になる必要がある、という主題はキノシタ『善魔』が想起され、同じようにギコチない。新聞社の団結を説くのも、革新党へのシンパシーを送るのも、真面目な警察署長の見明凡太朗さんも、集団からの孤立に人生を見出すウルトラ個人主義なマスムラの得手ではなかっただろう。なお、警察は県の所管だが見明は市長(浜村純)に顎で使われている。大都市ではこんなものなのだろうか。
冒頭の選挙街宣車が時代で、拡声器積んだダンプに学生が数名いて、交替にマイク掴んでアジっている。選挙については「10年間保守だ、一回大掃除をしたほうがいいんだ」という冒頭のラブホ支配人の発言がもっとも常識的で、全編を支配している。オリジナルで原作はなし。アグファカラーで油絵のような青色が独特に美しい。ワイド。
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