[コメント] GANTZ PERFECT ANSWER(2011/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
相変わらず、原作は全く見ていません。原作の設定に関して触れた箇所に事実誤認があった場合はご容赦ください。
まず、良かったと言うか、評価できるところを先に記しておく。
何より、川井憲次による音楽である。メインテーマというべきか、冒頭とエンドロールに流れる曲は、GANTZの世界に非常に良く合っている。他も邪魔になることなく、映画全体に対してよい効果を生んでいたと思う。あと、今回の範囲での原作からカットした部分は、納得できるという意味で評価してよいと思う。原作では、やれ恐竜だ、やれ妖怪だ、やれ美術品だと莫大なCG費用が見込まれる「星人」が次から次へと出てくるが、原作の「吸血鬼」を援用したと思われる「黒服星人」ミッションと小島多恵(吉高由里子)ミッションに絞ったのは妥当だろう。(最後の銃撃戦はGANTZからの明確な指示がないのでここではミッションと考えないものとします)
巨大な敵なしでGANTZというのはどうかという向きも理解はするが、原作をそのままとなるとR15レベルのレーティングは避けられない残虐表現を盛り込む事になり、メインターゲットの一角を担う中学生以下が締め出される事が避けられないので、この選択は現実的ではあると考える。また、マイエルバッハ社関連の要素を落としたのも妥当。入れたところで大した効果は生まないだろうし、これ以上長くするのは適当ではない。冗長だという前提はあるが、前作ほど不快感を感じず141分観せきった事もひとまず評価する。
評価できるのはこの程度。以下、視点を変える。
本作における最大の問題点は、シナリオの練りの甘さである。重田正光(山田孝之)というキャラの必要性、GANTZにかけられるあの液体の意味・出自またその効果、「卒業生」たちの組み込み方、偽加藤(松山ケンイチ)にXガンを撃たれた玄野(二宮和也)がなぜ衝撃波を食らったレベルで済んでいるのか等のご都合主義。偽加藤に小島が何度も斬られた後、全く何の補足もなく偽加藤の攻撃が止み、小島と玄野が愁嘆場を演じるという前作同様の不誠実さ。挙げていけばきりがない。
例を上げると、ラスト近くの遊園地のシーン。小島の台詞と行動のダブルスタンダードである。確かにGANTZ世界での記憶が人によっては残っていたり抜けていたりするという描写を入れているので、「忘れてたが思い出した」という強弁も可能ではあると思う。だが、根本的に小島はGANTZに召喚された事はないし、小島と玄野が知り合ったのは現実世界の話である。ならば、鈴木(田口トモロヲ)と桜井(白石隼也)のように互いの存在を忘れたのではなく、おこりんぼう星人ミッション後の加藤の弟のようにいなくなったという認識でいるはずではないのか。
「ずっと過去に戻ったんだよ」というなら、なぜ小島は遊園地のチケットを持っているのか説明をつけてもらわなければならない。この一連のシーンによって、GANTZの世界観を結局わかっていないのではないかという疑念を持たざるを得ないのである。根底に流れる大前提をしっかり落とし込まないからこういう状況になる。期待するだけ野暮かもしれないが、原作物をやる以上、その作品に対して真摯でいて欲しいものである。
後はラスト。玄野のあの選択はこの世界の収束という意味ではやはり物足りない。予定調和といわれようが100点獲得による帰還にすべきだったと思う。その意味では星人側の事情や重田をストーリーに組み込んだのは根本的なミスと言わざるを得ない。岸本(夏菜)を使って小島を再生して、ラストミッションで玄野・加藤・岸本の3人が帰還するというストーリーの方が原作に近づいてしまうのは確かだが、すっきりした終わりになってはいるのではないか。まぁ、表に出ない事情からあのオチになったという推測前提の擁護はできるものの、やはり残念だった。
総じて、評価できる部分もあるにはあるが、やはりもったいない事になったという結論で、〆る事とする。
(2011.4.24 TOHOシネマズ上大岡)
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