[コメント] ブラック・スワン(2010/米)
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結局のところ、アレノフスキーが産み出したのは、生き生きとした一個のキャラクター、ではなくて、幽玄さとめくるめく陶酔感を融合させた映像美、だけだったのではないか。
まったく新しいアプローチだったと思う。自己抑制的な自我が、表現する側に立つ人物に現れているという設定は。同時に、盲点というか、今まで気づかなかったけど、なるほどこういう設定はあり得るなと思わせるものだった点において、このアプローチの新しさを評価したい。
母と娘の関係性もそう。娘の成功を願いつつ、失敗をも受け容れる優しい母が、実は最も根本的なところで娘の足を引っ張っている。こちらのごとき設定は、他の映画で見た気もするが、まだ希少だし、かつ鋭さにおいて抜きん出ている。さすがに、舞台当日に寝過ごした娘をそのまま寝かせておくだけでなく、劇場に「休む」とまで連絡を入れて、娘を行かせないようにする、とまでは、やりすぎに思う。だが、これは映画が主題を浮き彫りにするための手管と見ることができるし、実際、見てる最中はさほど気にならなかった(そういうエピソード処理の手際良さはあった)。
彼女を引き裂き、同時に彼女に力を与えるやっかいな妄想の中で、彼女はリリー(同僚のバレリーナ=ミラ・キュニス)を殺してしまい、それによって初めてオディール(=黒鳥)という役柄の心をつかむ。この瞬間を映像的に表現した、彼女の皮膚から黒い羽根がザワザワと生え出してくる描写には、まさに身の毛のよだつような感動を覚えた(←日本語表現として間違っているが)。このシーンを目にするだけでも、本作を見る価値があるように思った。少し感じた滑稽さは、抑え込む必要があるけれど。
ただ、観たあと興味を持って、家に帰って調べたら、YouTubeの荒っぽくボケボケの映像でさえ、本物のプリマ・ドンナによる演舞の方が、はるかに優雅で美しく、迫力満点だった。これは、本作の追究する題材ではないから仕方ない、とすることはできる。だが、ナタリー・ポートマンという名女優の豊かな表現力を手に入れる代わりにバレエ・シーンの迫真性を失う、というのと、無名でもバレエのできる役者にバレエをさせるメリット、とを考えた場合、私としては、できれば後者を選んでほしかった(ような気がする。断言できない)。アメリカのショウビジネス界は、それだけの十分に豊富な人材を抱えているようにも思うので。
そんなことの影響もあるのかな、という気はする。彼女が、黒鳥の心をつかんで収めた成功は、演技者として真の祝福に値する勝利である。彼女には、その祝福を受ける権利がある。だから、その人格を失わせてしまい、祝福を受ける機会を永遠に奪ってしまった結末には、私としてはがっかりしたし、強く違和感を覚えた。演技者として、その命を掛けられるかどうかが問われる瞬間、というものも(映画的に)訪れることはあると思うが、彼女はまだ舞台人として認められるスタート台にようやく立ったばかりであり、これから何年も苦労や研鑽を積み重ねて、初めてそういう瞬間が訪れるのではないだろうか。この映画は、この点に関し、性急だと思った。
アレノフスキーも、盤石な確信をもって映画作りしているわけでないのかもしれないし、一途に目指してきたゴールを目前にすると、その滑稽さから我に返り、ポイと放り投げてしまうような天の邪鬼さを持った人物なのかな、などと思ったことだった。
85/100(11/06/04記)
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