[コメント] 抱きたいカンケイ(2011/米)
古典的な美しいラヴストーリー。キャメロン・ディアス、キャサリン・ハイグルに続いてナタリー・ポートマンを相手にするアシュトン・カッチャーの役得は計り知れない。とまれ彼の清潔感と平均以上のコメディ・センスはここでも映画がウェルメイドな古典性を装うことにひとかたならぬ寄与を果たしている。
映画がユートピアであるのは、必ずしも主演の男女が観客の夢を体現するからばかりではない。物語にとっては枝葉のシーン、たとえばカッチャーの誕生日を職場をあげて祝うシーンのなんと幸せなことだろう(後々重要な役を担う眼鏡女性レイク・ベル、こういう愛すべきキャラクタが易々と造型されているところあたりも映画の質の高さを示していますね)。「まだぺーぺーであるはずのカッチャーにこれほどの祝福が与えられるのは彼の父親が大スターのケヴィン・クラインだからだ」という邪推は本質的でない。「そもそも米国ではこのようなサプライズ・パーティは決して珍かな光景ではない」かどうかもここでは無関係である。私はただ、そこでスクリーンから放射される幸福感についてのみ云っている。たとえそれがかりそめのものであったとしても、映画がこのような幸福の場であれる限り、そこはすなわちユートピアであるし、観客が映画館へ足を運び続ける理由としてもそれでじゅうぶんだと私は信じる。
この作品が製作総指揮も兼ねたポートマンにとって、芸域を広げようという野心のあらわれなのか、それとも『ブラック・スワン』で追い詰めた心身を癒すための息抜きの場であったのかは、むろん一観客には知りえないところである。しかし、少なくとも、アイヴァン・ライトマンにとっては作家的野心などというものとは無縁の職人仕事に過ぎなかっただろう。ただし、それはとても充実した職人仕事だ。いまだその演出力は息子にも劣らないと私は見るが、どうかしら。
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