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[コメント] ツリー・オブ・ライフ(2011/米)

タルコフスキーの真似は出来ても、タルコフスキーにはなれないことを本作は証明してみせた。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 思春期の親に対する相克は『』(1974)に観られるものだし、現在の自分の立場を過去の人間に対してとうかいしてるポーズを取るのは『ノスタルジア』や『サクリファイス』(1986)に見られるものでもある。ついでに言うなら、画面の一つ一つが芸術品のような美しさを持っていながら、極めて退屈であるところもタルコフスキーに見られるものに近い。

 でも、だからこそ言えるのだが、いくら真似ることができても、タルコフスキーになることは出来ない。

 タルコフスキーが今に至るもこれだけ支持されるのは、単に画面が綺麗だからではない。彼ほどの表現力を持つ人が、過去から現代に向かい、どれだけ圧迫されているのかを画面に封じ込めることが出来るからと言える。旧ソ連にあって、時として家族にまで伸びてくる権力に従うしかない自分の生き方、現在もまたその圧力によって自由なものが作れない状況。それらを映像として作り上げられた。そこにこそ彼の非凡さがあったのだ。

 こんな人間に対抗できる人はいないだろう。いたとしても、少なくとも先進国にあって平和を享受している人間には、ここまでのものを作ることは出来ない。

 『』を取ってみても、あれは単に思春期の少年時代を懐かしがっているだけではない。あの当時、家族が権力から受けていた圧迫感が今も継続していることを窺わせられるものだ。

 本作の場合、『』同様思春期に受けていた家族に対する思いが今も継続していることを示しているが、明らかに“その間”が抜けている。既に中年になった主人公はその間に社会的な成功を収めている。思春期に思いを馳せ、それがトラウマになってる割に、それをこれまでどうやって乗り切ってきたのか、あるいは目を向けなかったのか、その辺がすっぱり抜けてしまっている。

 そのため、どうにも主人公に同感ができないままだし、そのトラウマもこちら側に伝わってこない。

 こども時代に主人公が味わったことは、少なくとも家庭円満な家族にはありがちなことであり、それがトラウマとは思えないのが何とも。大概こう言うことはどの家庭でもありがちなことで、それを乗り越えて大人になっていくものだが、本作で描かれるのはその過程でもなければ、受け入れようとしているのでもない。なんかその辺中途半端だし、それを何故今頃になって?とも思う。これを描くのなら、舞台はせいぜい70年代〜80年代だろ?なんで現代にする意味がある?ペンを主役にしてしまったことが問題なんじゃなかろうか?過去編だけで物語はまとまってたよな。

 あるいはこれはマリックにとっての過去の告白だったのか?だとしてもあまりにも普通の人間の過去に過ぎない話じゃないかな。

(評価:★4)

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