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[コメント] ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎 90歳(2012/日)

福島菊次郎の飄々とした言動の裏に、潜り抜けてきた修羅場の壮絶さや怒りの激しさが滲む。そんな強烈で魅力的な逸材を前にして、長谷川三郎は福島を見せれば事が済んだかのように何もしようとしない。作者の意志や葛藤が見えないドキュメンタリーは退屈だ。
ぽんしゅう

ゆきゆきて、神軍』(87)の奥崎謙三、『ヨコハマメリー』(02)のメリーさん、『蟻の兵隊』(05)の奥村和一、『ミリキタニのネコ』(06)の三力谷老人、そして本作の福島菊次郎。1920年前後に生まれた人たちは、どうしてこうも強烈な個性を放つのだろう。みな戦前の軍国主義時代に思春期を過ごし20代の前半に敗戦を迎えた世代だ。

私の父もまた20年生まれである。父は本作の福島菊次郎氏とは真逆の精神性を持った人であったが、その頑なさに関してはどこか相通じるものを感じる。父の頑なさの根っこには、東北の寒村に生まれたコンプレックスと東京で高等教育を受けたプライドがあった。そして軍国思想教育の勇猛さへの未練を引きずりながら、企業戦士として急速な民衆化と高度経済成長を肯定し盲従せざるを得ない葛藤が、頑なさにやるせなさを上乗せしていた。そんな矛盾や悲しみが個性となって人の表層をカタチ作るのだ。

監督の長谷川三郎は、福島菊次郎の「何」を撮ろうとしたのだろうか。国家権力と対峙しながら、かくしゃくと生きる反骨の老人に「生きざま」の理想を見ようとしたのだろうか。福島が写真に残してきた民衆の怒りと悲しみに日本の戦後史をあぶりだそうとしたのだろうか。あるいは、どの時代にも老若問わず女にモテたであろう(私にはそう見えた)戦う男に滲む優しさに反権力の本質を見ようとしたのだろうか。よく分らなかった。長谷川監督は、福島菊次郎の表層を追うだけで、彼の精神性や行動の根本原理に踏み込もうとしない。

福島が「日本の戦後は、すべて嘘で固めれている」と言い放ったとき。何故、長谷川は「日本の戦後はすべて嘘だ、というのは福島の嘘だ」と、意地でも福島の発言を疑ってみなかったのだろうか。それが嘘であろうがなかろうが、そこで長谷川が踏みとどまることこそが福島菊次郎という個性に、正面から真摯に向き合うということであり、被写体に対するドキュメンタリストの礼儀ではないのか。現に福島菊次郎が、そう言っていたではないか。

(評価:★2)

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