[コメント] 伏 鉄砲娘の捕物帳(2012/日)
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正直、夏ごろに映画館に配布されたちらしを観て、久しぶりにオリジナルアニメとしてのこの作品を「絶対に観よう」と思わされたのは、ひとえにそこに描かれたヒロインが橋の上を銃をかかえつつ、滂沱の涙と鼻水を溢れさせて泣きながら通るシーンからだった。…近頃こんな見せ場をつくるアニメ監督の冒険的才能にはついぞお眼にはかかれなかった。それは裏切られることなく劇において機能していたのは確かだ。
だが、立っているキャラがこの話でヒロインだけなのには落胆させられた。とにかく尺が短すぎることに気づけば、別の話を考えろよ、と言いたくなるほどの完璧なダイジェスト版的な物語の作りなのだ。ヒロインの兄をはじめとする長屋の連中、江戸城の面々もなぜ肯定(否定)されるべきキャラクターなのか判らない薄い人々だし、肝心の「伏」も説明でしか表されない宙に浮いた存在である。悪役はなぜやっつけられるべきなのか。味方役はなぜ応援すべきなのか。それを説明なしで表現できなくて物語は成立しないはずだ。この映画の描写では「みんな仲良しになろう」程度の意識しかもたらされない。それでは困るのだ。
他方、最近流行りの影のない平坦な絵でキャラクターは描かれているが、どうも誤解しているように思えてならない。ジブリアニメなどでの平坦な絵はキャラクターの芝居が充分に描かれるための方便なのであり、動かないなら無様なだけなのだ。その上、動画を海外で描かせてその低いレベルの絵を修正しようともしなくてどうするのか。手抜きがはっきりと見える絵のクオリティには落胆させられた。その上でなにが江戸っ子の粋であるか。
あえて他の長所を見い出すとすれば、大島ミチルの音楽くらいだった。しかし物語のスケールは大島節に遠く及ばない。凍鶴が道節や浜路とのチェイスをする見せ場が、後半クライマックスの江戸城のチェイスをはるかに上回る臨場感を見せるのは尻つぼみの証明だろう。惜しむらくは制作時間の足りなさ…ということなのだろうか。
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