コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 終の信託(2012/日)

まさにセンシティブな作品で観客の共感と反発は創り手の手際に向かってしまう類。個人的な見処は役所の闘病の表出で実に素晴らしく、私の終もあんな具合だろうと思わされた。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「川崎協同病院事件」がモチーフの由。リアリティを確保するための実話ベースなのだろう。草刈の印象が薄い訳で、大沢たかおの変態エリート悪役検事にもっといい返せよと云いたくなるが、実話ベース踏襲でははみ出すことも出来なかったのだろう。バイアスは安楽死の社会的合意に向けた曲折に向けられており、近松の道行ではない。

ステロイド剤の副作用を怖れる喘息患者役所、必要以上に怖れる必要はないという主治医草刈。自動車や工場のばい煙は病気に悪く(個人的にはこれに啓蒙された)、役所は転地療養が薦められるが経済的に断念している。妻は私の介護ばかりの人生だと役所は嘆く。映画は、安楽死の争点となる「耐えがたい病状」とは何かを問うている。一般にそれは肉体的に耐えがたい病状だが、では精神的、経済的、人間関係的に耐えがたい状況はどうなのだという主張がある。そんなの駄目だよ、と云うのは簡単だが。

「そのときが来たら早く楽にしてください」と役所は草刈に頼み、「殺したんじゃない。楽にしてさしあげた」と草刈は供述する。「これ以上の延命治療を望まれますか」の草刈の問いに妻中村久美は「私にはよく(判りません、とも云わない)。でも仕方ないなら」。この反応がリアルだった。日本人の意見表明はこういうものだ。妻は検事には、主治医がそういうなら仕方ないと思ったと証言したと映画は語る。最後に字幕で、判決は家族への説明不足で執行猶予付有罪と述べられている。

安楽死は主治医が独断で執行し、病院で決めていない。安楽死への手続きは脆弱なもので、草刈は妻と息子と娘に一筆取るでもない。ルール化されたものはなく草刈は手探りで取り組んでいる。看護師に手伝わせて喉のチューブを抜く、そのチューブの長さが痛々しい。この描写にこそ映画にする価値が感じられた。苦しむ患者に鎮静剤を投与し続け、これが致死量かどうかが争点になる。家族が横にいるのに草刈が役所との約束の子守歌唄うのはちょっと違うだろうと思わされる。しかし、医者と患者が接近し過ぎとしか思えない数々の描写は、比べて現代のクールな医療がいい訳でもないとも思わされた。

変態風エリート検事の、聞いたことだけ答えなさいと被疑者の意見を制止しながら検事の主張通りの調書をつくり、細かいことは後でゆっくり聞くからと署名捺印させてしまう手際は見事な嫌味ドラマ。映画はふたりのディスカッション・ドラマを展開する気は殆どない。しかし、それなら草刈の立場の擁護がもう一つできずに脆弱だったという感想が残る。実話ベースの作劇の限界と思われた。

役所の造形は見事。こんなにリアルにエズいた俳優はいなかったと思う(森雅之がよくエヅいていたが、彼より上手い)。プッチーニ「私のお父さん」は喜劇なのだという逸話がいい。終盤、草刈が唐突に逮捕されたときこれが鳴る。この逮捕も喜劇だと云っているのだった。その他、人の知覚は死ぬとき聴覚が最後に残るとか、役所の娘大村彩子の名(ゆきこ)はハルピンで死んだ彼の妹(ゆき)から取られているのが最後の別れで判明するとか、細部のエピソードにいいがあった。しかし、空と川(海)が交わる処へ行けばそこは子供の頃住んでいた満州、という植民地の感慨は、そんなんでいいのかと思わされた。妻がこの話を全く知らないというニュアンスは、役所が家庭の邪魔者だったのを強調するのだろうか。

極端なことを説明なしで先に描写して、後追いで説明を加える、という現代風の演出が多用される。それはいいのだが、空きベッドでセックスが始まるがそれは医者同士だった。というのは何が云いたいのだろう。当直医がウィスキーを机に忍ばせているのは、(コメディ映画ではないのだから)医療の頽廃を指摘しているのだろう。こういう指摘が主題とどう関わりがあるのかよく判らない。

安楽死について、私の読んだなかでは、諸外国の例も引いた総合的な入門書として「安楽死・尊厳死の現在―最終段階の医療と自己決定(松田純、中公新書)、比較的反対の立場から書かれた「安楽死・尊厳死を語る前に知っておきたいこと」(安藤泰至著、岩波ブックレット)が興味深かった。備忘用。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。