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[コメント] 真昼の決闘(1952/米)

めぐり合わせの良さもあるとは言え、いろんな意味で画期的な作品であった事は間違いがありません。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ジョン=W=カミンガムの小説「ブリキの星章」の映画化作品。クーパーにケリーと言う、今の目でみると、登場するキャラクタは豪華かつ定番なものに思えるのだが、実際には“異色作”と呼ばれる事が多い作品。

 それは町の平和を守るはずの保安官が大変臆病に描かれていることや(実際この作品を観たハワード=ホークス監督は「保安官が民間人に助けを求めようとするとは情けない映画だ」と非難し、その答えとして、後にこれも傑作とされる『リオ・ブラボー』を作りあげる)、話自体他の西部劇と較べて淡々としすぎているのも事実。むしろ心理描写の方を主題としているように見受けられる。

 僅か一時間で行われるドラマで、主演のクーパーが碌々動けない状態(当時、クーパーは持病のヘルニアが悪化していた)、しかも低予算(クーパー自身もびっくりする位の出演料で出演してる)で撮らねばならないと言うハンディを逆手に取っての、一種のウルトラCをやってのけた。実際これだけ悪条件が重なっていなければ、この作品がここまでの完成度とさせる事はできなかったのではないかとさえ思えてしまう。

 映画とは時に順調に撮影が済んでしまうよりも、こう言ったトラブルの連続の末にできたものの方が面白くなることがあり、それが映画を知る上での楽しさにもなるものだ。

 この映画を語る上で重要になるのは、時間の使い方。一時間半の物語を一時間半使って撮る。劇中の時間を現実の時間に対応させると言う変わった撮り方をしている事が挙げられよう。

 時間軸を合わせる方法は他のいくつかの作品でも用いられていて、その効果を考えてみると、緊張感を演出しやすいと言う点が挙げられる。刻一刻と時間が過ぎ、焦る主人公の顔を撮る事で、切迫した雰囲気が演出できるのが強み。だが、一方では、主人公以外の人間をなおざりにしがちで、大作では使いづらく、さらに派手な演出が使いにくい弊害も持つ(スローモーションのような時間を引き伸ばしたり、逆に減らしたりと言った演出が使えず、クライマックスに使える時間も限られる)。又、時間をコントロールするのも難しく、冗長なだけの演出になりかねない。

 それを傑作に仕上げたのが監督のセンスで、手法の巧さと言える(意図してのことかどうかは別として)。迫り来る時間と、自分自身の決断が正しかったのか否かの後悔。誰も自分を助けてくれないと言う怒り。そのような様々な感情を含んで時計を見て、容赦なく時が過ぎていくのをただ見守るのみ。静かな中にそれらを封じ込めて演出されているのがなんとも見事。特に遺書を書くシーンでは、人々の目、時計の振り子、汽笛の音というつながりはモンタージュ技法をたっぷりと用いており、サスペンス演出はかくあるべし。と思わせてくれる。

 そういう意味ではやはりクーパーの巧さが光るが、ここで“発掘”されたと言う、グレイス=ケリーの存在感も挙げておくべきだろう。ほぼデピュー作であるにも関わらず、既にここで自分の芸域を確率している。

(評価:★5)

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