[コメント] 素ッ裸の年令(1959/日)
赤木はどちらかと云えば悪役だが、自分で決めたある種の倫理的なルールがあるし(金があるときは、かっぱらわないとか)、将来の夢もある(故郷の港町に帰って船員になるという)。勿論、ピカレスクな役柄としてもカッコいい見せ場が連続する。ただし、プロット構成的には、冒頭新たに仲間に入った中学生のサブ−藤巻三郎がより主人公というべき位置づけだろう。
仲間に加わるには試験のようなものを受けるルールがあるようで、冒頭近く、サブは、赤木とカノジョの堀恭子が見守る中、既存のメンバーと闘って勝つ。この決闘みたいな儀式は大きな川の中で行われ、キャッチーなロングショットで示される。このように、本作も、シネスコの画面をいっぱいに使った、目の覚めるような良いショットが頻出する作品だ。
では、プロット展開にはもう極力触れずに、良いショットを列記しておきます。まずは、赤木らが別荘と呼ぶアジトのロケーションが、良い画面を生み出す装置になっている。米軍基地跡らしいが、一見ゴルフ場のような、大きな原っぱのような丘陵地にある廃倉庫(廃兵舎)だ。また、近くの丘の上には、ゴン爺さんと皆から呼ばれる左卜全も住み着いていて、少年たちと交流する。サブとゴン爺が2人で缶蹴りをした後、座って夕景を見るロングショットが美しい。ちなみに、ゴン爺のシーンだけ、「星に願いを」をアレンジしたような(というかほとんどそのまゝの)劇伴が流れる。
あとは、赤木と新聞記者−高原駿雄を画面左に置いて、画面右の空にヘリコプターを飛ばせたロングショットだとか(ワンカットだけでかなり金がかかっている)、ラスト近く、雨の街中を撮ったシーン−新聞が売れずに返品される様子を描いたシーン−で、画面左にキオスクみたいな売店、画面右に記者の高原を映したロングショットも良いショットだ。
あるいは、清順らしいセット美術で書き留めておきたいのは、サブが学校で喧嘩した中村君(後のシーンではマー坊と呼ばれる)の家を訪ねた場面。この家の美術装置が面白い。中村君がいるのは庭に面した窓の大きな部屋で、庭を挟んで温室やプールもあるセットだ。これを俯瞰で見せる。こゝも、このワンシーンだけでこのセットを組んだのだろうか(他の映画の流用かも)。あと、暴れて補導されたサブが担任の先生−波多野憲に連れられて帰宅すると、父親−久松晃(洪介)がPTAの役員らに謝罪している場面で、サブが、父ちゃん!と叫んだ直後に、この貧民窟のような住宅街の、高い位置からの俯瞰ショット(屋根のショット)が挿入される繋ぎもキャッチする。清順らしい、普通じゃない感覚ということで云えば、このカッティングが一番かも知れない。
#備忘でその他の配役などを記述します。
・堀恭子が働くペットショップ(鳥と猿だけ?)の店主は青木富夫。
・サブの父親は久松だが、母親は初井言栄。
・赤木がバイクで詰め寄るPTAの会長は雪丘恵介。
・返品される新聞を回収する男は榎木兵衛。
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