[コメント] アクト・オブ・キリング(2012/デンマーク=インドネシア=ノルウェー=英)
映画はミクロな視野に向いたメディアだ。本作からも、この“大虐殺”の全体像についての手掛かりはほぼ得られない。アンワルは、1000人を殺して英雄とされたという。100万人が殺されたということは、1000人ものアンワルがいたということだ。
それでも、当時のインドネシアで、これは“正しい行い”とされていたのだということは分かる。今でも公的にはそうなのだ。だからアンワルは、誰からも責められることなく、堂々と生活を送ることができる。社会的に正しい行いだとされているからこそ、映画化の話にも応じる。社会的に正しい行いだからこそ、被害者の役まで演じたのだ。社会的に、断る理由がないからだ。
確かに彼は野蛮人かもしれない。われわれ“文明人”とは違う側にいる。だが、われわれだったら、映画化に単純に協力するだろうか? いくらでも断る理由を思い付くのではないか? むしろ画策して映画化を潰す側に回るのではないか?
例えば彼の元殺戮同志(?)ならどうだ。ブッシュは大量破壊兵器がないのに戦争を仕掛け、イスラエルはガザで無辜のパレスチナ人を殺戮している、俺は悪夢など見たことないねとうそぶくあの元同志なら。彼は、映画に協力するためジャカルタまで来て、被害者役のためのメイクまで受け入れながら、この真実は公けにされるべきでない、と主張したのではなかったか。この人物が主人公だったら、映画は成立しただろうか。
こういう映画を待っていた、とまでは言わない。いまという時代が必要としたのかもしれない。少なくとも、映画帝国主義がその版図を外側に広げ、これまで誰も踏み込まなかった領分に初めて足を踏み入れた、とは言えよう。
85/100(14/07/24記)
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