[コメント] 歓呼の町(1944/日)
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「もう取り壊しになると思うと、ろくにハタキもかけませんよ」で始まる本作、町内の強制疎開と住宅取り壊しの悲哀と交流を描いてブレることがない。今で云うところの災害ユートピアのような、ギリギリの交流がある。
お世話になったと印刷機に手を合わせる印刷工親子の件は美しい。「供出すれば国のお役に立てる。子供を出征させるようなものです」と語る日守新一の陰翳は、当時の庶民の心情を浮かび上がらせている。コメントの勝見庸太郎の一言も重い。
上原謙のムイシュキン公爵を想わせる、正論を吐くおバカさんの造形も素晴らしい。「小父さんの会社、日曜も休みじゃないの」「そうさ、戦争だからね」とは爆笑である。試験飛行士になったのは金のためと語るのも過激だし、終盤この主人公を死なせてしまうのも思えば物語として破格だし、この殉職を大して美化しないのも凄い。雨中のクライマックスの撮影は、制作年が不思議に思えるほど充実している(溝口ですらあのボロボロな撮影の『宮本武蔵』を撮った年なのに)。
このようにして、疎開促進を目的とした国策映画という依頼に応えたプロパガンダは、ラストの取ってつけたような日ノ丸掲揚だけである。次作『陸軍』ではそれすら拒否することになる訳だが、本作でも最後まで信千代は悲哀の表情を浮かべているし、日守もただ自分に開き直っているだけと取れる。小堀誠が風呂屋を止めるのも、お国のためではなく子供についていくためである。
東宝に比べて松竹は戦争協力に積極的でなかったと云われるが、本作を観ればそれがよく判る。目線を低くし、庶民に寄り添って有事に対処した木下の姿勢は、うっかり賛同して高飛車な思想を振り回してしまった面々と並べれば、際立って優れている。政治家がよく使う「後世の判断に任せる」ってのは、つまりこういうことであると思う。それは森本薫の意志でもあったはずた。
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