[コメント] パパの木(2010/仏=豪=独=伊)
女優を除いては取り立てて印象に残る作物でもなかった『やさしい嘘』から大きく前に歩を進め、ワンシーンたりとも観客を退屈させまいとするジュリー・ベルトゥチェリの創意が漲った快作。主人公の少女モルガナ・デイヴィスの初登場シーンを「鉄道線路の直下」で演じさせるあたりからして既にすばらしい。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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「さては『ポネット』のようなお話かしら」などと梗概についての知識を仕入れた上で予断を抱えて劇場に足を運んだ観客を、演出家は通り一遍でない諸細部の構築、さらには意想外のディザスタ・スペクタクル的展開でもって快く裏切る。
通り一遍でない諸細部とはたとえば、突然の蝙蝠闖入や便器に湧き出づる蛙、あるいは親密の度を深めてゆくシャルロット・ゲンズブールとマートン・ソーカスのデートに登場するパンチング・マシンなど。海辺でのバカンスシーンが砂に埋められたゲンズブールの図で始まったり、シーンの頭に驚きを仕込む演出もいい。衣裳の選択にもおざなりなところがなく、末っ子くんは第三回ワイト島フェスティバルにてザ・フーのジョン・エントウィッスルが着用したようなガイコツスーツで登場。デイヴィスもすべての衣裳がよく似合っている。デイヴィスと彼女の友達による「n年後の自分を想像する」遊びも面白い。
これらの心地よい驚きがいささか所与の枠組みに収まりがちな物語を不断に活性化する。その極めつけはやはり先にも述べたところのディザスタ・スペクタクル、すなわち大樹の枝が落ちて破壊される家屋、そして度を越した規模の大嵐だ。掛け替えのない人を喪ったゲンズブールやデイヴィスのやり場のない想い、そのような決して簡単には落着しえない感情を扱ったこの映画は、ディザスタの強大な破壊エネルギーを借り受けることでもって円満に劇を閉じてみせるだろう。
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