[コメント] アメイジング・スパイダーマン2(2014/米)
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劇中ではその存在を自警団と捉えられ、活躍ぶりに賛否両論を巻き起こしていたピーター・スパイダーマンも、5か月の潜伏期間を経て再登場した際にはニューヨーク市民に「戻ってくると思ってた!」と大歓迎をもって迎えられたものだが、(これを書いている)公開後約1か月となる今現在、このサイト上で採点した人4人、うちコメントした人2人(私を含まず)という現状を見る限り、日本において本作は、必ずしもそのような熱烈な歓迎ぶりをもって迎えられてはいないようである。
これにはいくつかの要因が考えられるものの、大きく分けると次の3つ。1つには、監督がマーク・ウェブに代わってからはまだ2作目であるこのシリーズも、それを復活させた前任サム・ライミ版から数えるとすでに5作目であるということ。2つには、その内容もプロット自体はさほど変わりがないということ。そして3つには、その間に『アイアンマン』等のアメコミ映画が数多く作られたこと。要はこれらによって大いなるマンネリ感を抱かれているということなのだと思う。
また、このマーク・ウェブという監督自体が問題で、正直私は、この監督が実力を発揮するのはデビュー作である『(500)日のサマー』のような小品で、決してCGバンバンの大作ではないと思っている。だいたいCG好きな人ならこの時代にわざわざフィルムでは撮らず、即デジタルに頼るのではないだろうか。
けれど私は、そんな彼が好きなのだから困ったものだ。デジタルだ、フィルムだということだけでそんなことを判断するのは時代錯誤も甚だしいということはよく分かっているのだが、フィルムの持つ色感が好きで、あえてそこに戻ろうとする(実は1作目はデジタル)その姿勢、それもこのような作品でというその姿勢に、個人的には好感を抱かずにはいられないのである。
そんな彼のカラーは、1作目同様かなり色濃く出ていて、とにかく登場人物の心情表現が、こんな映画にそこまで必要ないだろうというくらいに豊かなのである。人間ピーターの、空気の読めないダメダメぶりは相変わらずだし、マックスやハリーといった悪役にしても、彼らは如何にしてスパイダーマンをかたきにするようになったか(どこかの巨匠作品のサブタイトルのようだが…)が丁寧に描かれているから、悪役であるのに感情移入してしまうところがある。加えてピーターとグウェンの恋物語は、アクションそっちのけで、それこそが本作の柱とばかりに展開するものだから、クライマックスのカリオストロの城も真っ青な結末には、「そんなことしてこれから大丈夫か」とか、「3作目以降の エマ・ストーンとの契約がうまくいかなかったのか」とか、余計な心配をしてしまいながらも、涙を流さずにはいられないのだった。時間の経過を短いカットつなぎで見せるところも巧い。
もしかしたらこれまでのピーターのダメダメぶりも、今シリーズでの彼の人間的成長を柱とするための伏線なのかもしれない。そんな彼は傷心の気持ちをこらえ、愛するグゥエンが遺した「どんなことがあっても希望を」というメッセージを胸にまた次作へと羽ばたいた。だから私も「戻ってくると思ってた!」とばかりに、彼のことをまた次作まで大いなる期待感をもって待ち続けたいと思う。本作の採点は、そんな今後への期待感および、誰からも見放されても自分だけは応援しているぞとの意味も込めて捧げるものであると理解されたい。
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