[コメント] 柘榴坂の仇討(2014/日)
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ありきたりな感想ですが、まず、桜田門外の変を井伊側から見るという視点の斬新さに、「おおっ。その手があったか!」と唸らされるものがありました。それから、明治維新以降は急速にチョン髷・帯刀の武士姿は失われたのかのように思っていましたが、必ずしもそうではない(明治5~6年頃でも結構いた)という視点の断固たる提示も面白かったです。
水戸脱藩浪士の逃走中の5人のうち、「一人でもいいから首を取ってこい!」と、「一人でも」にこだわる理由は解りませんでした。また、中井貴一にその命令が下される理由は明白なのですが、彼一人だけであるようなのは不可解です。
さらには、始めのうちは井伊家との接点が保持されていたのに、途中、明治維新の前後から中井貴一の単独行動のようになってしまった経緯が不明です(描かれていない)。台詞として、「もう徳川も彦根藩もないんだぜ(なのになぜ仇探しを続けているのか)」というものがありましたが、彦根藩主ではなくなっても、井伊家は存続しているのですから。
しかし根本的なことを言うと、「仇討」と銘打っておいて、この結末は駄目です。「命は大切に」というメッセージそのものは重要でありましょうが、武士道ってのは基本的に“死ぬことと見つけたり”と言う人もいるぐらい、いざというときに命をなげうつことを是とする価値観。このメッセージを訴える土台として、ふさわしい題材ではありません。「意外性」や「捻りがある」とは言えますが、製作者サイドが見せたいものは、「意外性」や「捻りがある」ではなく、メッセージそのもののはずですから。
そのためにはせめて、“一見、非人間的に見える武士道にも、実は人間的な側面があって…”と描く必要があります。この映画は、「武士道」「仇討ち」という枠組みを借用していながら、自分たちの主張したいことのために、「武士道」「仇討ち」という価値観を否定している。それは、そうでない題材を使ってそう描くことが本来望ましい訳ですから、少なくとも《アンフェアである》とは言えるでしょう。
75/100(14/11/03見)
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