[コメント] アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン(2015/米)
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作品の中で何度も問われるのは「果たしてアベンジャーズは世界の平和にとって必要なのか」ということである。ウルトロンはトニーによって生み出された。ハルクは相変わらず暴走して甚大な被害を出した。はっきり言って「こいつらがいなけりゃ今回厄介事なんにも起こってねえじゃねえか」とすら思えてくる。しかしわざわざ製作者が本作をこんな奇妙なバランスの、爽快感のない映画にしたのは、必ず理由があるはずなのだ。私は製作者の「とにかく最強のアベンジャーズが外敵から世界を守ってくれるぜ、イエー!」みたいな、単純明快なヒーロー物にはしない、という決意表明のように思えた。彼らは迷い、過ちを犯し、対立する。前作ではちょっとした感情の行き違いによる口喧嘩程度のものだったが、本作では一歩間違えば完全に分裂、というところまで行く。世界を守る、ということについての思想の違いが明らかになるのだ。『ウィンター・ソルジャー』で示された自由と平和の対立が、より厄介な形で登場すると言ってもいいかもしれない。このジレンマにに答えるのは、容易なことではない。単に答えを出すだけでなく、エンタテインメントとして観客を納得させなければならないのだ。
私は、明らかに製作者は、困難な道を意識して一歩踏み込んだのだと思う。本作でキャラクターが掘り下げられたのは、アベンジャーズの中ではかなり「現実世界」に近い、ホークアイとブラック・ウィドウである。我々はどうひっくり返ってもアイアンマンやソーやキャプテンアメリカにはなれない。しかしホークアイやブラックウィドウにならなれるかもしれない。ホークアイが怯えるスカーレット・ウィッチに言う。「ここから外に出たら、君もアベンジャーズだ」と。これはアベンジャーズが神々の物語から、それが象徴する現実世界の希望と困難の物語に変わった瞬間ではなかったか。
その結末がどうなるのか、それはまだわからない。だが「普通にやっておけば大ヒット間違いなし」の映画であえてこのような困難な選択をした製作者に敬意を払いたい。ただしここまでやったのだから、きちんと「シネマティック・ユニバース」の世界観にケリをつけてくれような?という思いはあるが。とにかくいろいろな意味で「マーベル、甘くねえな」と身にしみた一本だった。
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