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[コメント] いそしぎ(1965/米)

確かに1つの不倫の形だろうが、男の心がもう一つ伝わってこないのは何故だろう?
KEI

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







自由に生きて来た女と、彼女に出会って昔情熱に満ちていた頃の自分を思い出す男というのは確かに1つの不倫の形だろう。そして女は肉欲だけではない、心の結びつき・温かみを知ることになり、一方男は神父で・・・ということで物語は進む。

しかし、もう一つ男の心・気持ちが伝わって来なかった。

何故かと、巻き戻して観ると、彼の態度が問題だ。妻に「好きな女がいる」と正々堂々(でもないが)打ち明けるし、更には「二人とも愛している」なんて言っている。昔の公明正大な自分に戻ったので何事も包み隠さず話をし行動するのだ、とでもいうのか。それはそれで良いのだが―妻も最後にはあきれ顔になっている。

不倫って表に出せないで苦悩するものではなかったか?表に出したい、出せない、あぁ狂おしい・・・というものではなかったか?

要するにダルトン・トランボというちょっと変わった男の不倫の話と解釈すべきなのだろう。だからだろうか、リチャード・バートンの演技が終始戸惑っているように見えたのは―。

(評価:★3)

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