[コメント] 小間使の日記(1946/米)
本作も「隠蔽」と「暴露」を主題とする演出が何ヵ所も出てくる。例えば、スカートをめくって推薦状を取り出すポーレット・ゴダード。開かずの部屋。地下の骨董品。隣の屋敷との垣根の演出。そして死者は庭に埋められる。そもそも、日記自体が隠すことと暴くことの道具だ。
アメリカ時代のジャン・ルノワールの精神性の投影とまで考えるのはうがち過ぎだとは思うけれど、『スワンプ・ウォーター』も「隠す」演出の氾濫する映画だったのである。
さて本作は限られた演劇的な装置を舞台とする小品だが、ルノワールらしい大らかなユーモアと非常に厳しい演出が共存する矢張り見事な映画だ。脚本と製作も担当しているバージェス・メレディスは終始舞台的な少し大袈裟な道化の演技を見せる。対して執事のフランシス・レデラーや屋敷の息子・ハード・ハットフィールドは徹底してシリアスだ。そして女主人のジュディス・アンダーソンが相変わらず素晴らしい押し出しで彼女が登場すると圧倒される。キャラクターが皆はっきり判りやすく、ともすれば類型的にも見えるのだが、しかし演技演出には深みがある。例えば本作のクライマックスとも云える温室でのハットフィールドとレデラーの闘いはかなり痛さのある演出で、突き放したカメラの視線に心が揺すぶられる。ルノワールの中では傑作とは云えないかも知れないが、それでも当時のハリウッドにあってひときわ異彩を放つ豊かな映画である。
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