コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 恋も忘れて(1937/日)

爆弾小僧対突貫小僧、あるいは桑野通子の美女はつらいよ。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







全体に、いつになく地味なつくり。セットの狭隘さが目立つのは閉鎖的な物語を反映させてのことだろうか。桑野通子がいなくなった息子の爆弾小僧を探しに走るときの正面からの反復や、小学校の校庭の省略など、幾つかの不思議ショットは流石だがこれを除けば撮影も地味。霧の町とくれば濡れた石畳というのがハリウッドの常識だが、そういう美術もなく埃っぽい印象が残る。

だから清水映画としては面白味に欠けるのだが、それでも評価したいのは、脚本と俳優が優れているから。新しい学校について行った桑野通子に爆弾小僧が、お母さんが来るとイジめられるから帰ってくれと告げる件や、彼が再び学校に行けなくなって、船小屋で弁当を広げる件の酷薄さが切ない。ディケンズの傑作のようだ。こういう主題は実に現代的で、何も変わっていないと思わせられる。

化粧水の香りから桑野親子の受難は始まっている。本作は香りの映画と云ってもいい。出ずっぱりの桑野通子がファンにはたまらないのであるが、匂い立つような彼女の挙手はこれ全てPTA的な常識を逆撫でするものであり、身についてしまった商売の香りを彼女はどうしようもない。学校とは今も昔も美女がいるべき場所ではないのだった。彼女の長回しのダンス・シーンはこれまた地味だが、当時としてはすごかったのだろう。昔の女子体操の地味な演技のフィルムを見るのと同じか。

佐野周二は用心棒にはとても見えないが、いい科白が幾つもある。君より君の子供が好きなんだ、とか、お母ちゃんを虐める奴なんかやっつけちゃえ、とか。彼が得た職がカムチャッカでの漁業というのも時代だ。今で云えばマグロ船に乗るような境遇なのだろう。

爆弾小僧は学校をサボって船小屋で読み方の勉強をしているが、そのとき隣にいる葉山正雄はタイトルバックでは「支那人の子」となっている。中国人の子供たちは学校には通わなかったのだ。これは調べてはじめて判った。ただ観ただけでは判り難い。戦前なら特に断らなくても誰にでも判った、ということなのだろうか。残酷な時代である。突貫小僧は最後、喧嘩に負けて泣き出す。この子はどの映画でも泣き出す。お定まりだったのだろう。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。