[コメント] 疑惑のチャンピオン(2015/英)
元チームメイトが共著者である暴露本(?)「シークレット・レース」に描かれたランスはもっと生々しく怪物的だった。ランス本人が書いた自伝「ただマイヨジョーヌのためでなく」と合わせて読むと、この人物が自分をどう思ってもらいたかったか、実際に周囲にはどう思われていたかがわかってとても興味深かった。しかし事件の核心、「なぜそうまでしなくてはならなかったか、不正をするとき何を考えていたのか」はわからないままだった。
本作はドキュメンタリーではなく事実をもとにした劇映画なので、本人のプロパガンダや第三者による客観的な記述ではなく、ある程度憶測も交えてそのあたりに踏み込むことができるのではないか、と期待した。たとえば『市民ケーン』とか『ソーシャル・ネットワーク』のように。しかし残念ながらランスという人間を積極的に描こうとする意欲は制作陣にはなかったようで、ただベン・フォスターが難しい顔をして黙っているカットを入れることで、アリバイ的に「悩む人間ランス」の描写がなんとなく見え隠れするだけだった。また、事件を追うジャーナリスト、クリス・オダウドの方の描写もどうにも漠然としている上に尻すぼみで、事実がそうだったんだから仕方ないとはいえ、ランスに簡単に反撃されてあっという間に敗北してしまう。どういう勝算があったのか、脇が甘いんじゃないかという印象しか残らない。ジェシー・プレモンス演じるフロイド・ランディスのドラマも思わせぶりなだけで、うまくサブプロットとして働いているとは思えない。結局どれもこれも中途半端なのである。
それほどロードレースのファンでもない私が、ランス・アームストロングに興味をもつのは、スポーツビジネスとマスコミの相互作用で巨大化しすぎた虚像の中心で、一人の人間でしかないこの人物が何を考えていたのか知りたいからである。もしその舞台で堂々と自分の役割に満足して演じていたのであれば、それは負の方向ではあれ英雄であり、怪物である。その度外れた人物の内面に触れてみたいと思っていたのだが、残念だった。
あとどうでもいいことだが、ダスティン・ホフマンが別に彼である必要があるとも思えない役で出演しているが、あれはどういう事情なのだろうと少し不思議に思った。
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