[コメント] 怒り(2016/日)
本作は見事な作品ではある。豪華俳優陣の共演のみならず、心理描写にもしっかり配慮した緻密な脚本、意外性のある物語展開と、見所もふんだんにあるし、どっしりとくる見応えもある作品だった。『悪人』と較べてみても見応えは本作の方が上をいっている。
それで非常に素晴らしい作品ではあるのだが、一つだけ大きな誤算があった。
それは公開時期の間違いである。
2016年の夏は邦画がとにかく熱かった。なんせ日本では12年ぶりとなる庵野秀明監督作品『シン・ゴジラ』(2016)があり、若年層の圧倒的な支持を受け、歴代邦画興行成績10位に食い込んだ新海誠監督の『君の名は。』(2016)があって、この夏はほぼこの二作品の話題で終わってしまった。私としてもこの二作はとても良い出来だと思ってるし、『シン・ゴジラ』は今年の最高作品だとも思ってるが、それと同じ時期に、もっとアダルティな本作はちょっとそぐわなかったようだ。
スマッシュヒットした『悪人』以上の話題作になれたところが、投入時期の間違いによってたいして話題にならずに終わってしまった。作品の出来にヒットが追いつかなかったというのは返す返すも残念である。
とは言え、本作の出来そのものはとても素晴らしいもの。
李監督がここ近年に作った『悪人』、『許されざる者』と本作を続けて観ると、その傾向が明らかになる気がする。
この三作品に共通するのは、罪を犯した人が赦されるのか?と言う点に注目していることが分かる。
前2作においては、主人公は過去殺人を犯してしまい、その重みに耐える描写に力を入れている。そして主人公はその罪の重みに対してどう決着を付けていくのかを描いてみせた。『悪人』ではそれを逃亡という形にとり、『許されざる者』においては、殺した以上の数の人を助けることでその罪に対して自分なりの決着を付けようとしていたかのように見える。
対して本作での面白いところは、殺人を犯したのが誰だか分からないと言う点。登場する三人の男達は、過去に何らかの罪を犯して、逃亡の末に今の町に住んでいる。周囲からすればそれが不気味な存在に映り、誰が犯人であっても説得力を持つ。
その罪とはそれぞれ重さは異なるが、その罪の重さを感じているのは客観的事実ではなく、本人の心の中である。他の人達がどれだけ彼らを温かく迎えようと、あるいはその罪は赦されたと口にしようと、彼らはそれぞれの心に重さを抱えて生きていくしかない。
例えば大西は自分の命がもう長くないことを恋人である藤田に告げることが出来ない事を。田代は親の借金から逃げていることを。そして本当に人を殺してしまった田中。彼らはそれぞれ重みを抱え込んでいる。
そしてその重さに耐えられなくなった時、彼らはどうなるか。
大西は幼なじみの女性に全てをぶちまけた上で姿を消す。その結果として彼を殺人犯として疑ってしまった藤田は悶々としてしまい、余計な罪を抱え込むことになるが、やがてそれは涙というカタルシスによって浄化される。
田代は愛子と洋平という父娘の本物の愛情によって、自分は愛されるに足る存在である事を初めて知ることによって、自らに追わせていた罪の軛を外す。
そして田中は、誰かに断罪されることを願い、周囲の人間に挑発行為を繰り返す。その結果、彼が本当に望んでいた死という断罪を手に入れる。
この罪というのは、当人で終わるものではない。大西は藤田という理解者を苦しめることになるし、田代は彼を本当に心配してくれる親子に迷惑をかけないよう逃げた結果、余計に重さを背負わせてしまう。田中に至っては、自らの断罪ために使った知念に殺人犯という余計な軛を負わせることになる。
それぞれの罪は、あるところでは収束し、あるところでは拡散していく。それぞれが罪というものを見つめた結果である。
基本的に本作は三つの全く関係のない事件を描いたものだが、どれも罪の償いという重さを正面からぶつかった姿であり、それを真っ正面から描いて見せた監督の力量は確かにたいしたものである。
投入時期さえこのタイミングで無ければ、もっと観てくれる人も多かっただろうに。
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