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[コメント] 雨の日は会えない、晴れた日は君を想う(2015/米)

なかなか感情移入しづらい映画だ。「誰に」感情移入するかも含めて。
プロキオン14

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







唯一、感情移入してしまいそうになるのは義理パパのクリス・クーパー。愛する娘を失った喪失感、義理の息子への気遣い、心配、そして怒り。ジェイクとは『遠い空の向こうに』『ジャーヘッド』以来、三度目の競演だ。

主人公のデヴィッドは、気持ちも行動も判りづらい。「ちっとも悲しくないんだ」というが、私にはそれを表に出す方法を知らないだけで、苦情の手紙を書くあたりは、「どうしていいか判らない」戸惑いを感じることができた。

それが、ナオミ・ワッツと、その息子と交流を重ねるにつけ、どんどんワケが判らなくなってくる。原題の「Demolition」は「解体、分解」。冷蔵庫を分解、というよりは「破壊」が、最後まで何も生み出さなかった気がする。「分解をして、組み立てなおす」の「組み立てなおす」が全然できてない。

少しずつ妻のことを「再発見」してゆくが、その横にはナオミ・ワッツ。これでどうやって、「妻を亡くした夫の気持ち」が判るというんだろうか?最後に「愛はあった。おろそかにしていた」というが、時々妻の姿がフラッシュバックされるが、それまでの行動からも、演技からも、ちっとも裏打ちされていない。

もっと判りづらいのが、ナオミ・ワッツ演じるカレンだ。最初は妻を亡くした「苦情の手紙」の送り主に、気遣いとかの気持ちだったのかと思ったが、途中からまるでストーカーになった。一応恋人がいる身でありながら、デヴィッドに「興味津々」的な行動。挙句に「彼のことは愛してないの」とかいう始末。でも彼女にとっての「一番」は息子のこと。彼と付き合っていたのは「そのため」だったかもしれないし、でも「代わり」が現れたから、どうでもよくなった、という打算的な印象すらある。

息子は、大人びているようで、その実は見た目相応の「子供」。母親の作る「男」に敏感になっているが、彼氏と違い、デヴィッドは実はカレンに対してあまり「恋愛感情」がないと思う。息子クリスは、この「年上の友人」と行動するうちに、少しずつ欠けていた社会性を取り戻していく。ただそのあたりのデヴィッド自身の行動は、理由が判らない。家や家具をクリスと一緒になって破壊したり。「僕ってゲイなのかな?」なんて相談したり、いまや一番身近。でもデヴィッドにとって、クリスと行動することは、何となく成行きに近い。ほかの誰にも心を開いてなかったから。

もう一つ、「妊娠」のはなし。これが一層話を混沌とさせる。なんなんだこの夫婦は。夫→妻もだが、妻→夫はどうだったのか?そこに愛はあったのか?おろそかにしていなかったのか?

終盤で「加害者」が出てくる。よくわからないが、日本でいう「免許停止」とか、あるいは逮捕とか、されなかったのか?過失は運転していた妻にあったのか?そのあたり明らかにされないまま、いきなり出てきた加害者。

そして、ラスト直前に拾った「妻のメモ」。「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」の意味が何一つ判らなかった。そもそも「誰宛?」

(評価:★3)

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