[コメント] 14の夜(2016/日)
描かれるのは、成熟の象徴であるAV女優を巡り、社会のミニマムな集団のなかで離合集散する井の中の蛙たちと、その一匹である少年(犬飼直紀)の一夜の出来事。そこに立ち上がるのは、14歳の自分を思い出したとき、誰もが経験した「あのときの変な気持ち」だ。
家族という社会の最も小さな集団と、地域の知り合いという家族の次に小さな集団のなかですら、自分の立ち位置が曖昧なことに初めて気づく「何のとり得もない中学生」の漠然とした不安。足立紳は初監督作で、そんな14歳の少年の「未熟」をドラマ性を極力排除したドラマとしてカタチにしようと試みる。
1987年という時代に焦点を当てて、作者自身の青春グラフィティ化を試みる分けでもなく、田園風景が残る地方都市特有の情報過多と貧弱な現実のギャップや、憧れへの近くて遠い距離感が生み出す焦り、といった青春映画の常道が描かれることもない。
時系列的に進む「とり得のない中学生」のエピソードは、足立監督の(おそらく)確信的な意図により際立ったドラマ性が排除され淡々と綴られる。それは、F.フェリーニが得意とした、いくつかの良作への挑戦にもみえる。
しかし、残念ながら「とり得のない中学生」のエピソードは、必然的に既視感に溢れており、そこに何らかの映画的な興奮(蛇足だが過剰な饒舌や、性急な感動のことではない)を呼び起こす工夫がなければ、文字通り「とり得のない=何もない日常」の提示にしかならように思えた。
足立紳監督のチャレンジングな意図は十分くみ取れました。次回作に期待します。
〈余談〉 本作で情けない父親を演じた光石研が、同じような中学生役でデビューした快作『博多っ子純情』(78)で発散していた強烈なエネルギーを思い出していました。時の流れに感無量。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。