[コメント] フォルティーニ/シナイの犬たち(1976/伊)
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海外のユダヤ人のパレスチナ問題への斬り込みで、どうしても甘くなってしまうようにも思うが、平凡こそ大事ということもあるのだろう、という感想。
フォルティーニは詩人の名。冒頭、「シナイの犬」とは遊牧民の慣用句、シナイに犬はいない、と引用がある。「イタリアのプチブルは自分の階級をはみ出すことは云わない。戦中の罪悪感からイスラエルの味方と云う。アラブの味方とは云わない」。一方、PCI(イタリア共産党)は反イスラエルだと語る。戦中、虐殺事件にあったと語る。無言で延々とパンし続けられる山並みは、その虐殺現場なのだろう。追悼の石碑も見える。最後に大きな断面をさらす奇妙な岩山を捉えた風景を、キャメラは360度回転2周。その後も多用される山並みパン、鳥が鳴く。
カトリックらしい教会の祈りの光景が映される。美しい灯りのもとで歌が唄われ巻物が広げられる。詩人が出自を語る。父やユダヤ人で母はカトリック。シオニストと交わった回想と、ドイツの愛国少年団員入り、カソリックの洗礼。何て複雑なんだろう。国境横断者のストローブ=ユイレと共感する処があるに違いない。「雑種」だから、棄教すればユダヤ人とは見做されなかった。監獄へ行った父の回想。
青いシャツ着た詩人が自作を朗読し続ける。「反アラブは三十年前の反ユダヤと同じだ」という発言は真っ当で、平凡にも思われるが、当事者がこれを云うのは難しいのだろう。「ユダヤ人だけの国がありえないのは、キリスト教徒だけの国がないのと同じだ」。イギリスが押しつけた政策だ。アメリカが引き継いだ。調停が大事だと云われ、「完全なる真実は相対性のなかにある」というレーニンの言葉が引かれて終わる。
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