[コメント] けんかえれじい(1966/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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昭和10年頃、備前は岡山第二中学校。カトリック。下宿の娘浅野順子(クラウン)が聖心女学校。スッポンという名の川津祐介から喧嘩の奥義を授かり、オスムス団とかいう学生組織で武者修行。「度胸つけるたけには校則をひとつずつ破らにゃいかん」という提言はやらた面白い(このネタが追われる訳ではないが、追っても面白かっただろう)。
25分頃。浅野が部屋でピアノ弾いていて、背後から撮られ、ピアノの上の窓から、二階から降りてくる高橋英樹が見える。彼は左の障子開けて出かけると云って裏口から出て行く。するとそれを窓越しの浅野が見送っている。さっきまで窓の外は二階だったなずなのに裏口になっている。たぶんジャンプカットで浅野は別の窓から外を見ている、というのが正しい理解なのだろうが、窓の景色が変わったという印象が強く残る。ここが妙に好きだ。決闘未遂事件のあと、浅野がピアノ弾いて窓にぐるぐる渦巻き、背中合わせの高橋は露出過剰で白い窓の外の喧嘩に参加して戻る。この件など後の大林宣彦の技法そのものだ。
佐野浅夫の軍事教練から逃げて会津若松、喜多方中学の後半。浜村純の弱気な教師が授業で揶揄われる件のジャンプカットが愉しい。松尾嘉代の喫茶店で、会津中学の昭和白虎隊に絡まれつつ北一輝(緑川宏)に合う。白虎隊と喧嘩して横倒しの大八車の車輪に縛られぐるぐる廻されるリンチが笑える。白虎隊と喧嘩するのだから官軍なのだろう。ただ、前半の、高橋が高い櫓に取り残される喧嘩の方が面白く、比べるとこの後半は少し地味。
浅野が会いに来て修道院に入る、体に欠陥があるから結婚できないと云って去り、雪道で軍隊の徒歩進軍に突き飛ばされてロザリオを千切られる。高橋、駅で226事件のラジオ放送を聞き、見覚えのある首班北一輝の肖像を見て「喧嘩だ、大喧嘩だ、これを見なきゃ男が廃る」という野呂圭介の俳句学生と東京への汽車に乗る。喧嘩の主題がさらにディフォルメされた、ということだろう。高橋はフラれて自棄になって226を目指したとも取れる。再見。今はなき京一会館で観た。
この続編が企画されていたらしい。「日活を解雇された後、二・二六事件後に主人公が急激に右傾化し、日中戦争に巻き込まれていく過程を描いた『続・けんかえれじい』の脚本が、鈴木と彼の盟友たちで結成された具流八郎グループによって執筆されるが、映画化には至らなかった(Wiki 引用元表記無し)」。
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