[コメント] ブレードランナー 2049(2017/米=英=カナダ)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
いくつもの代表作を持つリドリー・スコットの排出したハイスピードSFにして、SF映画の最高峰の一本『ブレードランナー』(1982)。
てっきり続編は作られないまま終わるのだと思ったのだが、まさかの制作完成。しかも監督は『メッセージ』のヴィルヌーヴ。
一体どんな世界を見せてくれるんだか。
最初の感想は「淡々とした物語だな」という感じ。オリジナル版の、オープニングの派手さとごみごみした感じから一転。灰色の世界の中で、静かに静かに物語は進んでいく。主人公Kのやってること自体がゴミ掃除のような殺人行為で、その職務に高揚感もない。外ではレプリカントに対する差別にあい、家に帰っても合成食を食うだけの生活。唯一の心の拠り所はバーチャルパートナーのジョイの存在のみ。
最初の20分くらいの展開を観るだけで、重さをひしひしと感じるような出来だった。オリジナル版よりも遥かにサイバーパンクっぽさが出ていて、ディックの原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の世界観にとても近い。良い感じである。
そんなしょぼくれた任務の中で、Kは希望を見つけることになる。人造人間と人間の間に生まれた子どもを探しだし、闇に葬り去るという任務。その存在は人類にとってはマイナスであり、そしてK自身の任務としては抹殺対象となる。
しかしアンドロイドとして差別を受け続けるK自身の立場としては、人類とアンドロイドの間の格差をなくす可能性をもったものとして、大きな希望でもあった。しかも調べれば調べるほど、そのハイブリッドの子どもとは自分自身ではないかという思いが強くなっていく。
この辺りの展開になると、Kによる自分探しの旅となり、ラストまでの展開が思い浮かぶようになる。
その辺で、「まあ無難な着地か」と思っていたら、又一波乱。Kのネクサス9は全員同じ記憶を持つため、その子どもの記憶はネクサス9全員が持つものという可能性が出てくる。そして捜査を推し進めた結果、Kの記憶はやはり後付けされたものだと分かる。
ここで混乱。Kがその“運命の子”でなければ本作のストーリーは破綻するのではないか?誰かが嘘を言うか、何らかの間違いで、やはりKが“運命の子”に落ち着くのか?と思うようになり、ここからかなり真剣に観ていく。
結果としてKがなしたことは、本物の“運命の子”を見つけ出し、その父親であるデッカードの命を救いつつ、親子の対面をさせるという目的へと転換されていく。
そしてラストを観て、「ああ、なるほど」と思わせる。
結果として本作の構造はオリジナルである『ブレードランナー』を踏襲したものなのだ。かつてロイがデッカードにアンドロイドの未来を託したように、Kも又デッカードと“運命の子”を託して消えていく。アンドロイドとして人間を助けるという任務を果たして。
そう言う意味で、物語として実にしっかり作られている。
…いるのだが、なんか消化出来ないモヤモヤした思いが残る。
なんでKが“運命の子”であってはいけないのか?とか、もう少しKのやるべき事が無かったのか?もっとすっきりさせられなかったのか?など。
その辺実は友人と徹底して話し込んだのだ。結果的に色々“足りなかったもの”は挙げることが出来たのだが、最終的に「こうするしかなかったのか?」というのが結論だった。
たまたま本作は友人と共に観に行き、そのご数時間にわたって語り合ったが、未だに明確に「これがフィックス」と言えるほどの理解に至ってない気がする。
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