[コメント] ブレードランナー 2049(2017/米=英=カナダ)
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『ブレードランナー』と言えば映画好きなら誰もが知ってる作品で、SF映画の金字塔とも言われ、後世の作品にも多くの影響を与えたとされるほどの名作です。 自分が映画にハマった一年目、とにかく名作を見ていこうと思って調べたらすぐにこの作品に突き当たりました(その時見たら全く理解できなくて洗礼を浴びたのは苦い思い出)。 世間ではブレランの考察だとかブレランのファンだとかがいるようで、それほど有名な作品の続編が出るというのは喜ばしいことであり、不安でもあり、複雑だったでしょうね。
ファンの方からすると本作の印象がどうかはわかりません。ただ、元のブレランも2、3回しか見たことのない自分からすると、この『2049』の方はかなり良かったと思いました。とっつきやすくなったと言った方が適切かもしれません。時代の変遷かもしれませんが、とにかく前作よりも俄然今作の方が好きです。
とっつきやすいと評しましたが、前作未見の人からするとやはり難しいでしょうね。自分も俄かなので前作オマージュがどうとかはわかりませんが、前作を一回見ておくかどうかで設定の飲み込み度合いは違うと思います。 ただ、こう言うと前作の続編で、前作ありきの、って感じに聞こえるかもしれませんが意外と比較してみると前作とは別物と考えてもいい気はします。
まず、前作のハマらなかった理由として世界観のスケールが受け入れられなかったというのがあって、当時生で見たら衝撃的だったのかもしれませんが、独特な世界観がとっつきにくかったのも事実です。 ただ、今作は明らかに世界観は変化して、設定上は大停電が原因らしいですが、とにかく荒廃化が進んでいます。所々でスケールの大きいシーンもありますが、これくらいの既視感ある世界観の方が自分にはちょうど良かったのかもしれません。
そして何よりの違いは、主役のライアン・ゴズリング演じるジョー。前作のデッカードを演じたハリソン・フォードは御年75にしてまだまだ健在でありますが、今作のジョーの方がキャラクターとして明らかに感情移入しやすくなりました。くくりではブレードランナーとしての使命を果たすだけかもしれませんが、前作は人間対レプリカント、いや、正義と悪、主役と悪役という構図の中で、主眼を置くべきはずのデッカードよりも対立するバッティの方に感情が引っ張られるわけです。「正しいのは何か。人間らしさとは何か。」を突きつけられたのが前作のブレランだと思っています。 ただ今作のジョーはデッカードと違ってなかなか感情を表現してくれます。と言っても演じるのがライアン・ゴズリングなので、あからさまに、というよりは『ドライヴ』的なしっとりと伝わってくるのに近いですが。それでもジョーの感情はひしひしと伝わり、主眼を主役に重ねることができるわけです。 レプリカントであるかもしれない。それでも彼の生きてきた境遇に同情し、重ねていく中で、人間らしさ、自己の存在意義というのを見つけていく。この世界の美しさ、そして相反するように切なさ、残酷さ、というものを同時に突きつけられる。そういったラストシーンは俄かながらブレランらしさを感じました。
はっきり言ってどちらが良いとか悪いとかではないですが、同じシリーズでも別物の見方をすることができ、要はそれをどう受け取るかで違う気がします。私からすると今作の『2049』の方が入ってきやすかっただけのことです。後半にデッカードが登場してテンションが上がるでもなく、前作を超えられないから落胆するでもなく、比較されると超えるのは難しいかもしれませんが、類似の別物として見ていくとむしろこっちの方が好みでした。
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