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[コメント] 霧の音(1956/日)

清水らしい超然とした空間処理がメロドラマを大人版『野菊の墓』とでも云うべき高貴に至らしめている。後期の傑作。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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数寄屋橋みたいな中秋名月の山小屋に悪役の奥さんと、メロドラマの記号が並ぶ序盤はいかにも退屈そうなのだが、ここから映画は尻上りに面白くなる。ひょっとしたら初期設定は意図的に平凡にしたのではないかと疑われるほどだ。

安曇野の高原の山小屋は日本離れした何かロシア映画のような趣があり、これを映画は巧みに活用している。抜群なのは上原謙木暮実千代がすれ違う三年後の件で、小屋の中にいる上原と外を周る木暮の位相差が清水らしい不思議な空間処理で描かれ、運命の悪戯という通俗を何か超然とした世界に持ちあげている。

ふたりが偶然に再会するさらに三年後の件も秀逸だ。ふたりとも言葉もなく、音楽も黙り込み、希求と諦念がさもありなんという交錯のなかで描かれる。このふたつの件の演出に力があったからこそ、ラストの感慨が効いている。

木暮だからエロエロになるのだろうという予測は心地よく裏切られ、純朴なプラトニックラブで終わるのがいい。ご都合主義な死に別れは気にならず、悪役がいないのはメロドラマの常道を外していて好ましい。悪妻もフォローされ、上原がそのなかで現実に踏み込めなかった自分の弱さを苦い思いで回想しているのが的確に伝わる。必ず何かやってくれる浪花千栄子もいい。最後には三代の世代が山小屋で再会して達者を讃え合う。神経痛の浦辺粂子が効いている。炬燵に丸くなる愛らしさ。

上原謙にも木暮にも立派な子供がいる。これで良かったのだという感慨のなか、しかし実らなかった恋が切々と噛みしめられる。この心情が、上原が木暮の子供と低い霧のなかを進むラストに画として見事に定着されている。清水らしい子供がそこにいるのもいい。傑作だと思う。

(評価:★5)

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