[コメント] 強虫女と弱虫男(1968/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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売春はおろか、生活保護詐欺まで堂々描く物凄さ。別に肯定されている訳じゃない、笑いにならないコメディで戯画化されているが、確かに真剣である。売春をやむを得ない生計の糧として描き社会を糾弾するのは日本映画百年の十八番であるが、この手法で生活保護詐欺までも描いている。
私は元役人だから生活保護詐欺は見ていられない光景なのだけど、この閉山町では売春と同じだという指摘は正当と云う外ない。法律は紙切れのように軽い。アメリカでいわゆる行き過ぎたリベラルへの非難が聞かれ始めたのはちょうどこの時代。ウェルフェア・クイーン(不正受給の女王)問題もその一角を占めた(米保守は福祉嫌いだし)。そういう同時代性もあるだろう。しかし福祉事務所から逃げ回る本作の一家に頼る先などありゃしない。キャバレーで客引きの愚痴にするぐらいしかないのだ。
新藤はもちろん50〜50年代に貧乏人を描きまくった。このスタンスは彼の独立プロの存在理由だった。60年代も終盤に来て、本作で描かれる炭坑町の貧乏などは、オリンピック後の浮かれた中央からはどんどん見えにくくなっていただろう。政治状況は逆風が吹き、新藤は映画で政治にコミットするタイプではなかった。八方塞がりのなか、新藤は本作の頃に決めたのだと思う。貧乏とともにいよう、リベラルでいよう、マイナーでいよう、孤立しようと。
このような選択をした映画作家はほとんどいないだろう(若松孝二ぐらいか)。バブルもなんのその、本作の孤立を求めるタッチは『絞殺』を経て『ふくろう』まて延々続けられることになる。時代に流される者の多いなか、ブレない立場がいかに偉かったか、いま見返せば一目瞭然だ。独立プロは偉かったのである。
映画の独特な即物感は『狼』から悲劇を除いた具合で異様。乙羽信子は乳首まで見せ、キャバレーでのはしゃぎ様がもの凄いし、本来渋い観世栄夫の見せる鴉にまでアホされるボンボン振りもまたもの凄い。どうしようもない造形の殿山泰司情けなく、化粧落とした山岸映子が全くの子供なのが痛々しい。
どうしようもなさだけが残る作品だ。閉山炭坑の長屋で死ぬのよと乙羽は云う。実際そうして死んだ人も多いだろう。この笑えない喜劇には怨念がこもっている。
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